高田義裕の人生論

今日の格言

倫理の法則(物理的不均衡の是正)(神の裁き)

物理の授業を学生の時に誰もが習ったと思うが、地球には重力というものがあって、すべての物質は重力によって下に行こう行こうとする。すなわち、重力に逆らって物を高く積み上げていけばいくほど、その状態は不安定になり、積み上げ過ぎると、いずれちょっとした振動で瞬く間に崩れ落ちる可能性は我々の日常経験上、すぐに理解できる。要するに、万物はバランス的不均衡を是正するように働くのであり、常にバランス的に平衡な、高くも低くもない安定した状態に戻ろうとするのである。これはエネルギーのエントロピーと同じで、たとえ温度を高くしてもそれを放っておけば、いずれは温度は冷えて、最終的には暑くも冷たくもない常温に戻ってしまうのと同様である。これは倫理の法則にも当てはまる。万物はすべて倫理的法則から逃れる事はできない。すなわち悪い事をすれば、いずれ必ず罰せられるのと同じように、あまりにも貪欲に利潤を積み上げ過ぎても、いずれは積み上げ過ぎた荷物のように不安定になり、それは必ずはちょっとした振動で瞬く間に崩れ落ちるのである。それでは今私達の現在の世界情勢をAとしよう。すなわちすべての人はAを底辺とし、その上に自分で稼いだ富なり資産を積み上げていく。当然貧しい人は富や資産を積み上げる事は出来ず、それどころか日常の生活は赤字で、Aを上天として-A(マイナスA)になっている。しかし、ある人達は貪欲にも自分達のためだけに商売や仕事をして多額の資産を積み上げていった。そしてどんどんその富は増し加わっていき、Aを底辺として棒グラフはすごい伸びを示して、上ばかりが高くなりすぎてAという底辺は不安定になっていった。すなわちこの現在のAという世界情勢を底辺として(土台として)あまりにも極端に積み上げ過ぎた結果、この世界情勢は貧富の差が拡大し、不安定になっていった。そしてある時、ちょっとしたきっかけでこのAという底辺はこの全体的不均衡を是正しようと180度ひっくり返った。すなわち考えられないような世界的秩序の崩壊が起きたのである。そうして今まで一番上に位置していた人達は皆Aが-A(マイナスA)にチェンジして一番下になった。しかし逆に今まで-A(マイナスA)だった人達は-AがAにチェンジして一番貧しかった者が一番上になったのである。このように万物には常にバランス的に平衡を保って安定しようとするから、現在の世界情勢を土台としてここまで貧富の差が開くと世界情勢は不安定になり、いずれ考えられないような世界秩序の崩壊が必ず生じてしまうのである。そして今までの価値観は全く逆になり、立場の逆転が起こってしまうのである。よって今の世界情勢で富んでいる人よ、あなた方は嘆き悲しみなさい。あなた方の終わりは近いからである。しかし今の世界情勢で貧しい人達よ、あなた方は喜び踊りなさい。あなた方の救出は近いからである。神はまさに公正な裁きをもってこの世界体制を滅びに至らせるのである。

 

 

高田義裕の人生論

今日の格言

なぜ民主主義の国家財政は常に莫大な借金を抱えるのか。

なぜ民主主義の国家財政は常に莫大な借金を抱えるのか。例えで考えて見よう。世界情勢とは山あれば谷ありの、盆地あれば、川ありの複雑な地形を表している。そして政治の舵取りとは、その予想できない複雑な地形をまっすぐに進むようなものである。それで政府を地形探検して進んでいく冒険隊に例えて見よう。冒険隊は自分の組織を維持するため、最初のA地点から出発した。それで前進して行く上で自分達の食料や水をA地点にある食品会社や水道局から調達した。それから冒険隊は最初のA地点からだいぶ離れたB地点にきた。そこで食料も水も少なくなったので、国民は政府という冒険隊がB地点にある食品会社や水道局から食料や水を補充するものとばかり思っていた。しかし何と冒険隊は食料や水をB地点にある食品会社や水道局から購入せず、最初の出発点であるA地点にある食品会社や水道局からわざわざ食料と水を、遠いB地点まで大型トラック何台分も使って運ばせた。そして食料と水を確保すると、また冒険隊はB地点から新たに出発し、前進した。冒険隊は険しい山を越え、深い川の水を渡り、苦労してB地点からさらに遠いC地点まで到達した。長旅のせいで食料や水はほとんど底をつき、冒険隊はまた水と食料を調達しなければならなかった。そこで国民はC地点にある食品会社や水道局から食料や水を調達するものばかりと思っていたが、何と政府という冒険隊はC地点にある食品会社や水道局から食料や水を調達せず、また最初の出発点A地点にある食品会社や水道局から食料や水を持って来させた。そしてわざわざ大型トラック何台分にもなる食料や水をA地点からC地点まで輸送させたのである。大型トラックはA地点からC地点まで移動するのに険しい山を越え、深い川の水を渡り苦労してようやく冒険隊のいるC地点まで運んだ。それでその輸送運賃は莫大なものとなった。そこで冒険隊の運営資金が底をつき、政府という冒険隊は国民から税金として冒険隊の運営資金を徴収した。これでお分かりだろう。政府とはこの混沌とした複雑な世界情勢を渡り歩くために必要な財源を国民から税金として徴収しながら政治を推進していくのであるが、推進していくうちにA地点からB地点、またC地点と世界情勢は刻々と変化する。それで政府もその刻々と変化する世界情勢に合わせて、自分達の政策や組織も柔軟に変化させ、再編成しながら政治を行っていかなければならないのに、先ほどのどれだけ最初の出発点から離れても無駄に大型トラック何台分も使って運ばせたように、自分達の政策方針や立場を変えようとはせず、常に古いやり方でいつまでも同じA地点にある一部の一流企業や団体に利権を与え固定化し、税金を無駄使いするのである。世界情勢の変化に応じて他にいくらでも利用できる会社や団体があるのにそれをあえて利用せず、常に利権を古い友人である同じ会社や団体にいつまでも与え続け、既得権益を形成し、国民から徴収した税金を自分達のふところの中に入れて暴利を貪っているのである。そのせいで民主主義の国家財政は常に税金の無駄使いにより、莫大な借金を抱えるようになるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人間としての基本姿勢

すべて他の人には優しくて、自分には厳しくあれ。決して他の人には厳しく、自分には甘い人間であってはならない。そういう者こそ邪悪な者と言うのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人生論

すべての人間に対して人生の生涯パターンは2つしかない。すなわち記号で表せば、ABAとBABの2種類である。ここでAとは順風満帆の事であり、A=順風満帆である。またBとは苦難逆境の事であり、B=苦難逆境である。最初のABAは生まれてから最初の頃は比較的穏やかで幸せに暮らせる。しかし、人生の半ばで急に人生の歯車が狂い、すべてはミスマッチとなって、試練が臨み、非常に苦労する。しかし、その逆境になんとか耐え、忍耐の甲斐あって人生の後半は再び幸福に戻る人生である。そして後のBABとは、生まれてからずっと最初の頃から苦難と逆境に見舞われ、苦労する。しかし、ある日を境に人生の歯車が上手く回り出し、富や自由を得て幸福に暮らせるようになる。しかし人生の後半になって自分の人生が順調な事をいい事にハメを外したり、快楽に溺れて再び人生の後半は不幸に終わる人である。ただこの二種類の人生パターンに共通して言える事は、人生とは、その最初から終わりまで幸福に生きれる人は誰もいないという事である。すなわち記号で表せば、AAAになる事は決してないのである。また同時に、人生においてその最初から終わりまで不幸のままで終わる人も決していないという事である。すなわち記号で表せば、BBBになる事は決してないのである。よって人生のパターンによって人間の人格も変わるから、最初から善良な性格な人は、人生の半ばで逆境に遭う事により一時期はその性格が悪くなっても、その逆境に耐える事により、さらに人格が磨かれ、最後には最初よりも良くなって人生を謳歌出来るようになるのである。逆に最初から性格の悪い者がその逆境のゆえに深く悔い改め、人生の半ばで良い性格の持ち主に変わっても、その最後には人生の快楽に溺れ、やはり元の性格の悪い人に戻ってしまうのである。よって人よ、是非ともあなたの人生をABAとなるように努力せよ。なぜなら人生いろいろあっても終わり良ければすべて良しだからである。

2.威張っているボスを黙らせる方法

人間に集団が生まれると必ずと言っていいほど、弱い追従型の人と、周りを仕切る強いボスが現れる。よって職場でも弱い人達は1人の強いボスによって仕切られる。よって弱い人達よ、その強いボスを黙らせるためにそのボスより強い同じ強さの3人の人を連れてくるように。そうすれば、そのボスは自分より強い3人の同等の仲間がいるゆえにおとなしくならざるを得ないからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

不義の富

お金とは不義の富である。なぜなら実物の鉱石である金はその価格は世界共通であり、どこへ行ってもその売り値価格はそんなに変動がなく一定水準を保っており、売り手側の都合で変わったりはしない。しかしお金という紙幣は商品を売る側が勝手に自分の商品に自分達の都合の良い価格で紙幣価格を決定出来るし、他の国々によって全く使える紙幣の種類が違うし、また国の経済状態や景気によってお金の価格は全く異なっている。すなわち、日本では100円の価値があっても、他の国の違う種類の紙幣に交換する場合、ある国では日本の100円がその国では1000円の貨幣価値があったり、逆に10円の貨幣価値しかなかったりするからである。ここに明らかに貧富の差が生じるのであり、例えば、同じ100万円でも、商品によって全く買えるものが違うのであり、100万円の車もあれば、100万円の時計もあるのである。そこには何か共通の貨幣価値を定める共通のルールというものが全く無く、皆、勝手に自分の都合の良い価格を提示してくるのである。これは明らかに不正であり、いい加減な価格の決め方であり、そこに世界共通の金のような不変的価値はない。この価格のいい加減な変動差ががのちのち歪みとなって、全世界に貧富の差を生じさせ、そのツケが全部自然環境の破壊となって現れるのである。本来なら、全世界に共通して同じ貨幣価値を持った世界通貨という紙幣が存在しなければならないのである。そうすれば売り手側は自分の都合の良い価格を勝手に吊り上げる事は出来ないし、世界共通の倫理的ルールに則って商品の貨幣価値が決定されていくから、貧富の差がなくなり、それによって、資源の無駄使いや悪質な価格の変動操作やお金の浪費や物価価格の上昇がなくなって秩序が保たれる事により、自然環境が破壊される事もなくなるからである。このようにお金というものの勝手気ままな価格の変動操作が存在する限り、貧富の差は無くならないのであり、また資源の乱費による自然環境の破壊も無くならないのである。そのような意味においてお金とはあくまでも不正な富であり、不義の富と言えるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

生という牢獄

我々はなぜ生きているのか。私達は自分の意志で決定して生まれてきたわけではない。知らない間に気付いたら生まれていたのだ。すなわち我々は強制的に生まれてきたと言える。そして私達は否応なく生きる事を強いられる。喉が渇けば飲まなければならないし、腹が減れば食べなければならない。すなわち我々は生きる事を強要されているのであり、生きるという事に縛られているのである。すなわち生きるという牢獄の中にいるのである。この生まれてきて、結婚し、子供を産み、子供を育て、そして老いていき、死んでいくという虚しい生という輪廻(カルマ)から脱出する事が出来ない。よって人間の生きるという最終目的とは何か。それは生という牢獄から脱出する事である。すなわち生と死というものを超越する事である。この生と死を超越した領域に達する時、人は初めて自由を得、初めてそこで自分は生まれるか、それとも生まれないかを自分の意志で決定する事が出来るのである。すなわち人間の最終目的は神のようになる事なのである。よって人間は進化し続けるのであり、神の領域を目指す事によって、生きるという束縛、すなわち腹が減ったら食べなければならないとか、喉が渇いたから飲まなければならないとか、という生を維持するための行為をしなくてもよくなる段階に達していかなければならないのである。そう、我々は生と対峙し、生と戦って、それを征服しなければならないのである。なぜなら生きる事は楽しい事ではなく、苦しいことだからである。そうでなければ自殺する人などいないはずである。自殺する人は生と戦ってその苦しみに耐えられずに死を選んだ人である。すなわち彼らは生に屈服されてしまったのである。よって人よ、生きるという本質は苦しいものであるから、是非とも生と格闘し、生という輪廻(カルマ)から解脱するように。そこには真の自由があるからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

日本経済の行方

日本では国の借金が増え、日本政府は国債を大量に発行して日本銀行に買ってもらっている。すなわち日本銀行券という紙幣を大量に印刷出来る日本銀行という存在が日本銀行券という紙幣を買っているのである。これは血で血を塗る様なもので、日本銀行券を日本銀行券で買うという事は、すなわち日本の紙幣である円が大量にジャブジャブに刷られるという事であり、世の中に大量のお金が出て行くという事は、円の貨幣価値が下がるという事であり、それはいずれハイパーインフレーションとなり、円の貨幣価値がゼロ、すなわち紙くず同然となってしまうという事である。不気味な事に日本政府は2019年の秋に新貨幣を発表した。日本政府としては国の借金をなんとかチャラにしたいのである。そのためにはハイパーインフレーションによって今の銀行券、すなわち旧紙幣を全く使えないようにし、預金封鎖をして、今使っている紙幣を使えないようにし、全く新たに新紙幣から経済を出発させるつもりなのである。そうすれば国の借金はチャラになるのである。それによって国は潰れるかと言うと、そうではなく、国は外貨、すなわち他国のドルのような貨幣を大量に持っているので生き残る事が出来る。ここで苦しい目にあうのは国民だけである。国民は自分達の資産のほとんどを外貨ではなく、今の円である旧紙幣で持っているから、ハイパーインフレーションが来た時、すべての資産を失ってしまうのである。よって今からでも遅くないから、国民は、今持っている円という資産を外貨に代えて持っておくべきである。すなわち実物資産である金を買うとか、お勧めするのは、比較的安定していて、信頼のおけるオーストラリアドル、カナダドル、スイスフラン、ドイツマルク、スウェーデンクローナなどの貨幣である。

高田義裕の人生論

今日の格言

地球の臨界点

ある深い谷底に1本の木の橋げたがかけてあった。その上にはたくさんの人々が行き来して生活していた。人々は毎日忙しくせっせと働いて嫁いだり、娶ったりしていた。そして膨大な量の金や銀を掘り出しては自分達の橋げたの上に積み上げるのであった。しかし誰もその木の橋げたの積載重量の限界値を知らなかった。ある日橋げたの事を調べていた職人が橋げたの隅に小さく書いてある文字を見つけた。そこには積載重量限界1000kgまで、と書いてあった。それを見た職人は慌ててたくさんの人間の数の総重量や人々が積み上げた金や銀の総重量を全部総合して足し算した。すると橋げたの上に乗っている総重量は999.9kgであった。それを見た職人達は皆青くなって、すべての人々にもうこれ以上橋げたの上に金や銀を積まないよう警告した。なぜならあと10gで橋げたの限界積載量を超え、橋げたがそこで突然音を立てて張り裂け、すべて橋げたの上にいる人間や金や銀が奈落の底めがけて落ちていく段階に達していたからである。しかし人々はだいぶ以前から橋げたの木の板がキシキシ音をするのを聞いていたし、再三、橋げたを調べている人達からこれ以上金や銀を積まないよう警告を受けていた。それでも人々はまだまだ橋げたの木の板は大丈夫だろうと楽観的に考え、金や銀を儲けるための商売を止めようとはしなかった。そこである日、大金持ちの蔵にいつものように金を積み上げようと蔵の作業員がたった10gの金を乗せたところ、突然世界全体が激しく音を立てて揺れ、すべては崩れ落ち、瞬く間に奈落の底に落ちていった。これによりすべての人間は死に絶え、金や銀も夢のもくずと消えたのである。

(解説)

一本の橋げたとは、地球のことであり、大地の事である。すなわち私達の生活を土台の様に支えている自然環境の事である。そして金や銀を儲ける商売とは、私達人間の普段の生活の営みを表している。しかし人々が自分達の生活をより豊かにし、より便利なものにしようとすればするほど、一本の橋げたという自然環境は破壊されていく。すなわち金や銀の重みで次第に歪曲する橋げたの様に、人間の貪欲な経済的利潤の追求のゆえに大気中に大量の二酸化炭素やマイクロプラスチックスを放出する。そして近年、世界規模で自然災害が大量に発生し、人々の生活は支障をきたし始めている。それでも私達はまだ地球の自然環境は持ちこたえるだろうと安易な考えのもとに自分達の贅沢で便利な生活を止めようとはしない。そしておそらくもう10年ももたない近い将来、地球の臨界点、すなわち我々の生活の営みを支えてきた自然環境を支える限界値は限界を超え、地球は人間の住めない場所となるであろう。そうである。金や銀という富も自然環境あってのものであり、それを下支えする地球環境が壊れて我々が生活する事が出来なくなれば、元の子もないのである。人間というものは愚かなもので、地球が住めないほどになり、手遅れになって初めて自分達の過ちに気付くのである。そう、近い将来、人々は金や銀など自分達の命を守るために何の役にもたたない事を知り、金や銀をちまたに捨てるであろう。そうして全人類は自らを滅びに至らせるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

一神教と多神教の違い

一神教とは何か。それは書いての通り、一人の神だけを崇拝する事である。ここで一神教の長所を見てみよう。古代イスラム教国において、イスラム教の預言者ムハンマドが生まれた時代、ムハンマドの父や祖父の社会は多神教であった。そこには数々の神々が存在していた。人々は皆自分達に都合の良い神々を作り出しては、過度の酔酒や淫行や姦淫をいろんな神々を崇拝しながら乱痴気騒ぎに耽っていた。当然人間達の間にも自分を神格化し、神と名乗る者も大勢現れ、この地上での富を独占するために多くの争いが生じ、社会は秩序の無い無法地帯と化し、平和もなく、社会は荒れ廃れ、堕落の一方を辿っていた。これを嘆いていたムハンマドはある日突然、天からの啓示を受け、一神教を授かったのであった。もともと人間とは放っておくと皆好き勝手にやり出し、そこここで争いを生み出す厄介な生き物なのである。そこにはやはり1本筋の通った倫理的規範が必要なのである。その役目を果たし、人間をまとめるには一神教は都合が良かったのである。例えば現在の中国にしても共産党が中国人13億人を一頭独裁しているけれども、これは決して誤った事では無く、もし共産党が一頭独裁して人民を統制しなければ、人々は13億人もいるのだから、皆好き勝手にやりたい放題になり、乱世の世に戻ってしまう事を中国4000年の歴史が証明しているのである。また現在のイランも昔のフセイン大統領が、一頭独裁していた頃はフセインという人物が神の代わりをして強制的ではあるが、人々を統制して分裂を防いでいた。しかしアメリカの介入による湾岸戦争によってフセイン大統領が殺害されると、現在のイラン情勢のように、隣のイラクやイスラム国(IS)が台頭してきてイラン国内を再び内戦に追いやっている。このようにただ一人の唯一神だけを崇拝し、残りの神々の存在を認めない考え方は、分裂しやすい人間をまとめるのには非常に有効な手段なのである。しかしここで一神教の短所を見てみよう。それは多神教の長所でもあるが、私はクリスチャンであり、一神教のキリスト教である唯一の神エホバを信じているのだが、もし、この唯一の神エホバを唯一神では無く、多くの神々の中の最高神として位置付ければ、他の神々はその存在を否定されることなく、最高神と共存出来る事になる。すなわち一頭独裁の言論の自由を奪われた閉鎖的な世界では無く、いろんな価値観がごちゃまぜに融合した言論の自由のある、多様性社会を生み出す。よってそこにはすべてを寛容に受け止める緩い支配が存在し、平和をもたらすのである。しかし、寛容さも度が過ぎて、なんでもかんでも許容する社会になると、最初に述べたように誰も責任を取らない無秩序で荒廃した乱痴気騒ぎ社会が到来し、世界は腐敗し、退廃し、堕落していくのである。よって一神教とは政治で言えば、一頭独裁体制の事であり、多神教とは政治で言えば、民主主義体制の事なのである。一頭独裁は人民をまとめるには都合が良いが、自分の価値観なり思想以外の考え方を一切受け入れない事においては、他の人や他の国と意見が分かれるから、互いの間にひずみが生じ、争いが生じる。すなわち一神教は自分達以外の神々を認めないから、自分達以外の神を崇拝する国々は敵として映る。よって一神教は他国間との戦争を生みやすいのである。現体制で言えば、北朝鮮であり、中国である。北朝鮮人や中国人にとって神の代わりを果たしているのは金正恩であり、習近平なのである。しかし多神教である民主主義はともかく衆愚政治に陥りがちであり、リーダーの不在となり、貧富の差は拡大し、国民をまとめる人材がいないため、社会的混乱を招くのである。例えば今の香港の問題にしても、香港の人達は言論の自由を求めて民主主義を求める、すなわち多神教を信じているのだが、一方中国という一神教である一頭独裁国家が香港だけに特別に自治権を与えるとすると、今度は力で抑えつけられている13億人もいる本土の中国人達が、なんで香港だけ特別扱いするのか、と不満を言い始め、ついには中国共産党の一番恐れる中国国内の分裂にまで発展してしまうのである。であるから、中国としても、香港だけを特別扱いするわけにはいかないのである。このように全世界には一神教という独裁体制である厳しい支配体制もあれば、多神教という民主主義である緩い支配体制もあるという事である。この例の典型的事例は今の北朝鮮という一神教社会と、今の韓国である多神教社会に如実に現れている。ひと昔前までは、北朝鮮の社会体制は脆いと言われてきたが、最近は韓国の社会体制の方が脆くなってきている。すなわち、北朝鮮には金正恩というはっきりとした支配者がいるが、韓国にはカリスマ的な指導者がいないため、社会は混迷の度合いを深めている。そう、昔ブッシュ大統領に悪の枢軸と呼ばれた北朝鮮の社会の方が安定してきているのである。この立場の逆転現象は、実は世界中の民主主義の国で見られる。すなわち、資本主義と民主主義の短所が最近頭をもたげてきたのであり、逆に共産主義と独裁主義の長所が最近効果が出始めてきたのである。どちらの支配の仕方が正しいのかは私にはわからないが、ただひとつだけ言える事は、民主主義の良い部分と独裁体制の良い部分だけを同時に抽出した(混合した)ハイブリッド支配体制、すなわち酸性でもアルカリ性でもない、もしくは酸性の性質とアルカリの性質を同時に合わせ持つ中性的社会が一番人類の大群衆を統治するのに適正であり、理想であると思われる。

高田義裕の人生論

今日の格言

真の友とは普段一緒にいる友では無く、あなたが本当に困った時に来てくれる人である。普段一緒にいる友は、順調な時のあなたに近づいているだけであり、順調で無くなったあなた自身には見向きもしないからである。