高田義裕の人生論

今日の箴言

キリスト教神学叙説

最初の人間夫婦、アダムとエバが禁断の木の実を食べて、神に対して罪を犯したとき、神は、地を呪われた。それ以来、地球は本来の理想的な状態から掛け離れてしまった。よって現在我々が住んでいるこの地上には、罪(死)の秩序が支配しているのである。これは、あるものが必要な場合は、それが全く手に入らず、それが必要でない時には、それは余計なほど沢山あり、また、ある事柄がもっと遅く来て欲しい時には、それは速く来過ぎるし、逆に、緊急にそれが必要とされ、もっと速く来て欲しい時には、それは遅すぎるという全く非効率的で、要領の悪いシステムがまかり通っているのである。あなたも実際の人生経験で、実際には、どうでもよいことは上手く行って、本当に大事で肝心なことは上手くいかないことを実感しているのではないだろうか。また、人間の能力の傾向にしても、悪いことはたやすく行えるが、良いことは行いにくいのではないだろうか。例えば、お金や食糧が必要な発展途上国には、全くそれが行き渡らないし、それ以上お金も食糧も必要のない富裕層の所に更に富が集中して行っているのではないだろうか。また、人間や他の生き物の生態系に良い影響を生み出す発明や発見はなかなか生み出せないが、人は、悪知恵や、人を殺す殺人兵器の開発は驚くように進んでいるのである。また、税に関しても、きちんと税を払っている人には何の評価も与えられないが、税を払っていない人を暴き出すことには、人は、まるで、神のように、威力を発揮するのである。このように、私達は、非常に住みにくい、そして、生きにくい環境の中での生活を余儀なくされているのである。

2.神が、御自身を聖なる者として保っておられる条件や能力と、私達が自分達を貞潔で、健全な者として保つ、条件や能力とは全く同じものなのである。なぜなら、聖書には、それをはっきりと示す聖句があり、[あなた方は聖なる者でならなければならない。なぜなら、私は聖なる者だからである。]と書かれているからである。

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