高田義裕の人生論

今日の箴言

人はまず、何が悪いとか、何が良いとかを話題にするけれども、実際には、そんな事を言える立場には居ない。良いとか悪いとかと言うレベルは、まず、自分のレベルが神の様な存在で無いと論じられ無い類いのものだからである。神とは、完全であり、賢くて、決して間違いを犯さない正しい存在である。それに対して私達人間はどうか。私達は不完全であり、愚かであり、同じ間違いを何度も犯す。その様なレベルの者が、何が正しくて、何が悪い事か等を問う事自体があり得ない事なのである。例えば、2次元の平面上でしか存在していない物が、3次元の立方体を想像出来るはずが無いのである。よって何が良くて何が悪いかを論じる事が出来るのは神だけであり、その為に、神は御自分の権利の象徴として、パラダイスのエデンの園に、善悪の知識の木を生えさせておられたのである。これは神の主権の象徴であり、神だけがその実を食べる事が出来る事を人間達に明確に示すものであった。しかし、最初の人間夫婦、アダムとエバは、その神の主権に真っ向から対抗し、自分達も神の様に何が良くて、何が悪いかを論じる事が出来ると傲慢にも主張したのである。それでその木の実を食べ、神からエデンの外に追い出されてしまったのであった。

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