高田義裕の人生論

今日の格言

(題名)    欲望は悪か。

神と悪魔の対話

(神)   人よ、あらゆる形の欲望を捨て去りなさい。

(悪魔)    神よ、あなたは二言目には欲望を捨てなさいとか、肉の欲望や目の欲望を避けなさいとか言っておられるが、欲望を持つ事はそんなに悪い事なのですか。むしろ欲望を持てる事自体が、人間が健康である事を証しするものではありませんか。人は病気になってしまったら欲望さえ失われてしまうのです。よって人は欲望がある事をむしろ喜ぶべきなのです。

(解説)    西暦2058年、人類は絶滅の危機に瀕していた。欲望を持つ事を悪とする宗教すべては、すなわちキリスト教や仏教やイスラム教は禁止されていた。人間社会は野望とか欲望とかを持って、活発に仕事をする人が全くいなくなっていた。すべての人間は生命力が無くなり、健康を害しており、全く欲望を持つ元気も無かった。そのため人間社会は全く機能せず、無活動になっていた。諸政府は一丸となって、西暦1970年代の人類が夢を持ち、豊かになりたいという欲望で一生懸命働いていた時代に立ち返ろうと1970年運動というスローガンを掲げて、人々のやる気を引き出そうと必死であった。欲望を禁止するような神の存在は全くのタブーとされ、神を崇拝しようとする者は皆、弾圧され、逮捕され、政治犯として強制収容所に入れられた。もはや人類にとって神の存在は必要なく、むしろ敵であった。ポルノ雑誌やビデオも政府によって大いに推奨され広く頒布されたが、人々は性欲自体が無くなっており、子供も産まず、人類の人口は急激に減少していた。これは1つのシミュレーションにしか過ぎないが、なぜ大昔の宗教は欲望を悪い事と見なしたかと言うと、それは昔の人々は皆、寿命は短かったけれども、健康であった事だ。健康であれば、食欲も性欲も所有欲も旺盛である。それは昔の人々には空気のように当たり前の事であった。よって野心や欲望を持って世界を支配しようとする人間が後を絶たず、人類社会は戦いの繰り返しであり、乱世の時代であった。よって戦争という暴力によって多くの人が殺され、奴隷となって苦しみを受けた。このような時代情勢では野心や欲望は悪の根源であった。それで昔の偉人達はこぞって欲望を捨てよ、欲望は悪であると唱えたのだ。しかし人類は西暦2000年代になると一生懸命働いて稼いだおかげで物質的に豊かになった。そして豊かになって生まれてきた子供達は豊かさが当たり前の世界で生活していたため、食欲や性欲や所有欲が次第に失われていったのである。いわゆる贅沢病、豊かさの病理である。いじめや職場でのパワーハラスメントが原因で仕事を辞め、そのまま閉じこもりになって、社会から孤立した子供達が増え始め、仕事をする気力が無い若者達が増加し始めた。そう、人類は豊かさと平和を手に入れたとたん、生きる活力を失ってしまったのである。人類がこんな事になるとは昔の偉人達は夢にも思わなかっただろう。そして欲望を持たない人間の事を無能な人間だと罵られ、もっと野心と欲望を持って生きる事が正しい事として奨励される時代になってきているのである。要するに昔の宗教観念が通用しない時代になったのである。ではもう神という存在は必要で無いのか。いや決してそうではない。人間はやはり神の指導のもとに従わなければ、このように貧しいときでも苦しく、豊かになっても苦しいというまさにやり場の無い両極端な方向しか向かわない事が明らかになったという事である。神の支配は人間にとって貧しさでも豊かさでも無い絶妙にバランスのとれた幸福を与えるものとなるのである。要するに人間の人間による人間の為の自治は失敗したのであって、今こそ神による神権政治が急務とされている緊急事態なのである。

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