高田義裕の人生論

今日の格言

完璧さゆえの誤謬

ある女性がいた。彼女は若い頃から真面目で貞潔な女性だった。順調に結婚もし、子供も大きくなって自分が50歳くらいになった頃、ふとしたきっかけで美しい美青年を見かけた。その時はああ素敵な男性だわ、と思ったのだが、家に帰ってある程度時間が経った頃、突然ムラムラとその美青年とのセックスを連想してしまい、自分の性的欲情が止まらなくなった。そう、突然、淑女が淫乱に目覚めたのである。そこからは毎日淫らな性的シーンを連想しながらマスターベーションに耽った。なぜなら彼女はかわいそうな人間なのである。自分の人並み以上の性的欲情を抱えながらも彼女の年齢と容姿では、もはや若くていい男は誰も相手にしてくれないからである。彼女の欲望のはけ口は、どこにも見出されなかったのである。これはフィクションでは無い。実際の事例である。彼女はそのやりきれない欲望の苦しさの故に精神科医に相談もしている。しかし精神科医にももはやどうにも打つ手は無かった。このように無自覚に清く正しく生きていても、ある日突然ちょっとした誘惑で誤った方向にのめり込んでしまう場合があるのである。要するに清さを無自覚に保っていてもいずれ誘惑が来た時、なだれのように堕落してしまうのである。これはインフルエンザにかかった事の無い人が突然インフルエンザにかかるのに似ている。インフルエンザを防ぐにはインフルエンザ予防接種を受けてインフルエンザに対して免疫力をつけておかなければならない。この事例の一番最初のパターンはいつ見出されるか。それはアダムとエバである。アダムとエバは神から創造された時からずっと真面目に貞潔に生きていた。彼らには罪や欲望という概念はなかった。要するに彼らは無垢で純真だったのである。それゆえ、ある日突然、悪魔サタンから禁断の木の実を食べるように誘惑を受けてから、エバは罪に対する免疫力が無かったので、自分の心の内でムラムラとその木の実を食べたいという欲情が激しく燃え上り、遂には彼女は禁断の木の実を食べてしまったのである。この様に見てくると、聖書の言う罪というものに対して私はエバがそんなに悪いとは思わないのである。クリスチャンにとって罪とは非常に悪いものであり、忌むべきものとして捉えられているけれども、私が考えるに、アダムとエバが罪を犯すのは時間の問題でしかなかったということである。私はこの2人がそんなに罪深い事をしたとは思わない。むしろ、神によってあまりにも純真過ぎて完壁に造られたゆえにむしろ必然的に罪に目覚めたのである。そう、ここからは私もクリスチャンゆえに言いにくい事なのだが、最大のタブーとして究極的解答で結論すれば、神にとってアダムとエバが御自身に対して罪を犯すことは神にとって必然であったのである。むしろ禁断の木の実を食べてはならないと言われた神御自身がアダムとエバが罪を犯す事を初めから御計画であったという事である。なぜなら神の御業は完全であり、完全に造られた人間が神の意図せずに罪を犯す事は決して無いからである。よって人間の犯した罪は神が意図したものと捉えるしか無いのである。私は神の御意志やお考えを全部知っているわけでは無いので、その理由はわからないが、神の御業が何の失敗も無い完璧なものである以上、人間が罪を犯したのも神の予定の中に入っていたと言わざるを得ないのである。

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