高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

人間の心ほど理屈では分からないものは無い。例えば量子力学では、電子は粒子の性質を持つが、波としての性質も合わせ持つ。これは人間の心で例えれば、私は自分の事が嫌いかと言えば好きだし、かと言って自分の事が好きかと言えば嫌いだ、と言っている事に等しいのである。そう、理屈や論理や理性では人間の心は理解出来ないのである。この互いに矛盾した感情を合わせ持っているのが人間の心であり、自分の心ですら本人自身ははっきりと説明出来ない不満や葛藤や悩みがあるのである。精神科医はそれを何とか理屈をつけて理解しようと努めるが、それは現代医学の誤りであり、限界なのである。この曖昧模糊としたはっきりしないやり場の無い気持ちは誰でも持っているはずである。人間はとにかく自分達の理解出来ないものは排除しようとする性格を持つが、私達の心自体が理解し難いものであり、それ故に人は自分の心を排除しようとする。そう、それは自殺という形となって現れる。人間は自分の理解出来ないものが不快で仕様がないのだ。そこで心の病を持っている人間が到達すべき救済の最後の手段は神への祈りである。神はすべての考えに勝っておられる方であり、あなたがまだ自分の気持ちを言い表せていないうちから神はその人の気持ちを既にご存知である。であるから、一切の考えに勝る神の平和に道を譲り、常に自分の誓願を神の前に注ぎ出し常に祈りをするようにすべきである。そう、もはや理性による科学万能の時代は終焉を迎えたのである。これからは理性を超えた神の存在を認める霊性が必要とされる時代である。私達人間は最終的には神に頼らない限り、生きてはいけない存在である事が暴露される時代となるであろう。

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