高田義裕の人生論

今日の格言

人生は季節に例えられる。人は生まれた頃は母親の保護のもとで春の様にのどかに成長する。そして乳離れをした頃から、いろんな経験や知識を得る事に力を注ぐ。これはまるで稲作の田植えの時期の様である。小さな苗は百姓達の毎日の地道で大変な労働によって少しずつ育っていく。そして人生には夏という順風満帆な時節を迎える。この時こそまさに作物も人もぐんと成長する事の出来るチャンスの時である。そして人は年を重ね、田んぼの苗も十分育って穫り入れの秋を迎える。そう、春から夏にかけて地道に努力してきた収穫という報いを刈り取るのである。しかし人生の終盤になると、冬という厳しい逆境の時を迎える。冬は作物も育たず、厳しい寒さがすべてを覆い尽くす。人間の各人の人生はここで決定する。すなわち春や夏や秋はこの冬という厳しい試練と逆境の時を忍耐し、乗り越えるための準備の期間に過ぎなかったのであると、ようやく人は気付く。そう、春や夏や秋はのんきに何もせずに遊びほうける為にあったのでは無いのである。春や夏や秋という人生の比較的順調な時に、苦しい思いをして精神的にも肉体的にも努力して鍛えた分の蓄えを、何も得られない長い冬という逆境の時に、少しずつ取り崩して冬を乗り越えなければならないのである。つまり春や夏や秋に何もせずに怠けてきた者は冬という人生の逆境の時に何も蓄えていないから、その冬という逆境の寒さの厳しさに耐えられずに死んで行くのである。大半の人間は蓄えるべき春や夏や秋の時期を無為に過ごすから、いざ試練が及んだ時には時すでに遅し、なのである。すなわち少数の人間が、春や夏や秋の時期に遊びたいのを我慢し、食物を蓄える為に必死に努力しておいた分、何とか逆境を乗り越えられるのである。そしてこれも真実の言葉であるが、冬来りなば春遠からじ、であり、真っ暗な真夜中も過ぎれば夜明けは近いのである。そうして逆境という冬と真夜中を乗り越えた者だけが新たな春という夜明けを迎える事が出来るのである。

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