高田義裕の人生論

今日の格言

人は生きる事とは何かを問う事は出来るか。

人は生きる事とは何かを問う事は出来るか。それは出来ない。なぜなら、私達は飲んだり食べたり、喜んだり、悲しんだり、考えたりするが、それらの事はすべて生きている故に出来る事であり、私達は生きるという事に全く依存しているからである。例えばあなたという本人が私とは誰かという事を問いかける事は出来るものの、それにあなたが答えたからといって、それは他の人から見ればあくまでもあなたの主観論であって、決して真実に近い客観的見方では無いからである。そう、あなたとは誰かという事を客観的に判断出来る存在はあなたとは別の人間であり、あなたの内側にでは無く、あなたの外部の人間であり、存在なのである。すなわち、あなたという人間が確かに存在する事はあなた自身がどう主張してもそれを証明する事は出来ないのであり、あなたの存在を証明出来るものとは、あなた以外の外部の人間なのである。あなたは私は確かにここに存在していると主張して、その主張をあなた以外の誰かにそれを認めてもらい、聞いて確認してもらわなければ、あなたという存在が確かに存在し、生きているという事を証明する事は決して出来ないのである。これと同様に、生きるとは何かを問う場合も、私達生きている存在がそれをどう主張しても、それはあくまでも主観的見方でしか無いのであり、真実に近い客観的見方では無いのである。それでは生きるという事を客観的に説明でき、証明出来るものとは誰か。それは生きる、すなわち生というものを超越した領域もしくは世界に他ならない。すなわち生が存在するためには生という領域とは別に存在する世界が存在しなければならないのである。そう、普段私達の生きている生という世界とはまた別の次元の違う領域が存在して初めて私達は自分達が確かに生きていて存在しているという事を確認する事が初めて出来るのである。

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