高田義裕の人生論

今日の格言

生という牢獄

我々はなぜ生きているのか。私達は自分の意志で決定して生まれてきたわけではない。知らない間に気付いたら生まれていたのだ。すなわち我々は強制的に生まれてきたと言える。そして私達は否応なく生きる事を強いられる。喉が渇けば飲まなければならないし、腹が減れば食べなければならない。すなわち我々は生きる事を強要されているのであり、生きるという事に縛られているのである。すなわち生きるという牢獄の中にいるのである。この生まれてきて、結婚し、子供を産み、子供を育て、そして老いていき、死んでいくという虚しい生という輪廻(カルマ)から脱出する事が出来ない。よって人間の生きるという最終目的とは何か。それは生という牢獄から脱出する事である。すなわち生と死というものを超越する事である。この生と死を超越した領域に達する時、人は初めて自由を得、初めてそこで自分は生まれるか、それとも生まれないかを自分の意志で決定する事が出来るのである。すなわち人間の最終目的は神のようになる事なのである。よって人間は進化し続けるのであり、神の領域を目指す事によって、生きるという束縛、すなわち腹が減ったら食べなければならないとか、喉が渇いたから飲まなければならないとか、という生を維持するための行為をしなくてもよくなる段階に達していかなければならないのである。そう、我々は生と対峙し、生と戦って、それを征服しなければならないのである。なぜなら生きる事は楽しい事ではなく、苦しいことだからである。そうでなければ自殺する人などいないはずである。自殺する人は生と戦ってその苦しみに耐えられずに死を選んだ人である。すなわち彼らは生に屈服されてしまったのである。よって人よ、生きるという本質は苦しいものであるから、是非とも生と格闘し、生という輪廻(カルマ)から解脱するように。そこには真の自由があるからである。

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