高田義裕の人生論

今日の格言

もし私達人類が運よく奇跡的に全面核戦争を回避できたとしたら、私達の将来は明るいであろうか。いや決してそうはならない。なぜならもし、核戦争後の未曾有の無秩序世界が成立したとしたら、それはその方がまだマシかもしれない。なぜならそこには何も無いが、自由はあるのだから。この先、我々の社会はどう変化して行くだろうか。それは秩序という名のがんじがらめの超監視社会になるからである。昔の人は今で言う職場でのパワーハラスメントを常に受けていた。それでもそれは今と違って、上司や師匠から怒られたり、殴られたりする事は当たり前だという認識があった。なぜなら、現在の我々の生活よりも昔の人々の生活が非常に苦しかったからである。当然、物心ついたときから、自分の親からきつい体罰を受けて育ったし、何しろ貧しくて食べるのにも困ったから、それに耐えるのに、ものすごく根性が自然と鍛えられていたのだ。よって少々の事ではめげないサバイバル力(生きる力)が今の我々よりも何十倍も強かったのだ。我々の世代はどうか。我々は物心ついたときから、比較的、何不自由無く、貧しくも無く、恵まれて育ったのでは無いだろうか。私自身、食べる物が無い、という経験はまだしたことがなかった。普通に暮らしていけたのだ。当然そのように恵まれた環境にいたのだから、根性が鍛えられるという事も無く、甘ちゃん(suger)に育った。しかし我々は社会人になって仕事をするようになると、事態は一変した。職場が無茶苦茶厳しかったのである。今まで楽して生きていた分、それが余計にこたえたのである。私達は日々、上司や師匠から、罵声を浴びせられ、時にはかなづちや包丁が飛んできた事もあった。私達はそれに憔悴しきって精神を病んだ。今は昔とは全く事情が違うのである。昨今はパワーハラスメントで鬱病になり、自殺した者も多くいる。私達は昔の人達より根性が無いのだ、と言われてしまえば、それまでなのであるが、そうもいかない。やっぱり既に時代は変化し、親は子供に体罰すると逮捕されるし、部下を怒鳴りつけて仕事を覚えさせる事はもはや悪なのである。この様に人間は徐々に肉体的にも精神的にも弱くなっていくのであり、昔は問題視されなかった事が今では大きな社会問題になってきているのである。例えば、あるスーパーマーケットに客が買い物に来て、店員の接客態度が気に食わず、大声で罵倒した。いわゆるクレーマーである。昔はお客様は神様であり、何を言われても店員は謝るしかなかったが、今はもう違う。あまりにも客のモンスター化に店員達はキレて逆に客を怒鳴りつけた。それが社会問題化し、国はクレーマー法というものを作って、あまりにもひどい事を言う客には懲役刑を与える事にした。そしてこの難しいストレス時代、みんなストレスを溜め込んで、それを発散させるために、人と人とが激しく怒鳴り合うケースがどんどん増えた。それで政府は事細かに規制を作り、人の事を何でも悪く言う事はもはや犯罪であるとみなし、それをする者には懲役刑を課すようになった。すると人類社会は皆怯えて、何も言えなくなった。そう、憲法に言論の自由が保障されているにもかかわらず、人々は自分の考えや感情を表に出す事自体が悪とみなされ、普通の会話さえ出来なくなったのである。当然、隣の家に怒鳴り声でも聞こえようものなら、隣人が警察に密告する事も珍しく無くなった。これにより、すべての人間関係はギクシャクし、人々はお金を払って、日頃のストレスをぶちまけられるストレスルームが大繁盛した。どうであろう。この先、我々には自由に生きる事も出来ないような事細かな法律という規制の犠牲者となっていくのである。すなわち超監視社会の誕生である。要するにどっちに転んでも、ろくな社会にしかならないのである。この事を今から予想し、それを避けるための知恵を私達は振り絞らなければならない。

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