高田義裕の人生論

今日の格言

果たして全くの自由を持たれる神ほどの方が、してもしなくてもほとんど大差のない事柄をあえてしてはならないと言うだろうか。決して言われないのである。忘れてはならないのは、神の掟は私達の意志や決定をなんら奪うものでは決して無く、神の掟はすべて私達の身を守るために書かれているのである。すなわち、神が私達に与える掟は神の都合とか、神の益のために書かれているわけでは決してないという事である。よって、神が私達に~してはならないと言われた時は、それにはちゃんとした私達の益のための理由があるのであり、もし逆に私達がそれに逆らって行うとしたら、それは私達の身にとって必ず害になるという事なのである。

2.便利さの実感は不便さを実感した上で初めて知り得るものである事と同様に、神の掟の有益さは神の掟を破って味わった苦しみを経験して初めて実感できるものである。

3.すべての人間が何物にも勝ってすべき事柄は、自分の内にわずかでも残っている良い点を探し出す事に熱心であり、目ざとくあり、そしてそれを足がかりとして、それを伸ばし増やしていく事にのみ、全力を尽くす事なのである。

4.聖書は決して間違っていないという意味とは、たとえ聖書が書かれている事を自ら当てはめてみたけれどもなんら益は無く、むしろ害になったという場合があるとしても、それは聖書の側に何か不備があったからでは決して無く、その当人の聖書に対する捉え方、用い方、解釈の仕方が間違っているという、それを取り入れる側の方に問題があるということなのである。

5.文字通りの死だけが死ではない。たとえ生きていても、人にとって助言者がいないという事は、既にその人にとって死を意味し、また生きてはいても性的快楽に耽る者は既に死んでいるのである。

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