高田義裕の人生論

今日の格言

IUT 理論についての考察

最近私は加藤文元氏の書いた、望月新一氏が提唱したIUT理論を分かりやすく解説した著書を読ませてもらった。私の率直な感想はIUT理論はまだ不完全であり、数学の厳密性から見て、到底認められるものでないと判断した。その理由をこれから説明しよう。IUT理論とは、我々のこの1つの世界に留まらず、複数の世界を考え、群論の考え方によって、モノとモノとの関係を対称性によって、極度の抽象性に変換し、他の世界との行き来を可能にしようとするものであった。それにより、数学の世界に柔軟性を持たせ、我々の世界と他の世界との通信を可能にするという考え方である。しかしここで問題がある。モノとモノとの関係を極度の抽象性に変換させ、他の世界で再びモノとして再構築する際、その抽象性の本質的性質ゆえに、どうしても誤差というひずみが生じてしまう事である。加藤氏はそれをテ-タ関数によって、そのひずみを精密に計算し、補足することによって、その交換性を完全なものにできると主張している。しかし、極度の抽象性によって、いろんなものに交換できることにより、必ず生じる不正確さを徐々に条件を絞ることによって推測するということは、抽象性とは逆の具象性を用いるしかない。これは同時には成立し得ない関係であり、もし、対象を1つの具象性に絞ろうとするなら、通信手段を可能にする抽象性はそれを放棄するしかない。すなわち、その具象性の試みはあくまでも推測の域を出ないものであり、厳密性に欠けるのである。例えで考えるなら、まず、コップというモノを無駄な具象性をできるだけ取り除いて、普遍的抽象性に変換するなら、それは単に長方形の図形になるであろう。なぜなら、コップを真横から見るなら、それは長方形の形をしているからである。そして、その長方形という情報だけを他の世界に発信する。すると、向こう側の世界の人はそれを受け取り、テ-タ関数によって、対象を絞り、それはコップであると判断できたとしよう。それではこれで完全な交換が可能になったのであろうか。実はそうではない。なぜなら、コップはコップでも、私達の世界のコップは粘土の陶器製のコップであったにも関わらず、あちらの世界ではガラス製のコップとして認知されてしまったからである。これは明らかに厳密的に不完全である。それはまるで、陶器製のコップをガラス製のビ-カ-と間違えて判断するのに等しいからである。すなわち、普遍的抽象性にまでそぎ落とされた長方形という情報からだけでは、同じコップという判断までは正確でも、その素材までは特定できないのである。この意味において、推測という域を出ない限り、誤差というひずみは精密に計算されたとは到底言えないのであり、あくまでも不正確さが残るということである。よって、極度の抽象性によって、本質的に生じるひずみをIUT理論は完全には複製できないことにおいて、IUT理論は完成されたものとは言い難いのである。

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