高田義裕の人生論

今日の格言 

What is right ? [Part5]

公的と私的とは具体的に例えるとどのように表されるか。それは、公的とは賃貸アパートメントに入居することに例えられ、私的とは自分のマイホームを建てるのと似ている。賃貸住居の場合は、あくまでも、仮住まいであり、いくらでも引っ越しできるので、自由性は高い。それに対し、自分のマイホームを建ててしまうと、それはその地に定住することを意味するから、引っ越しできないことにおいて、自由度は低くなる。すなわち、公的とは財産を持たない代わりに自由に行動できるが、私的とは財産を持つ代わりに自由を失う点にある。果たしてどちらの方が幸福か。自由を優先したい人には、財産を持たないことは幸福であろう。また、財産を持ちたい人にはある程度の自由の制限を受けるのは、それほど不幸を感じないであろう。すなわち、より公的な生活を取るのか、より私的な生活を取るのかはあくまでも個人の選択であって、束縛ではないのである。すなわち、正しさとは、選択肢が多く用意されている意味なのであって、もし、選択肢が少なく、拘束度が高いのであれば、それは正しくないのである。よって、正しさとは自由のことであって、悪とは不自由なことなのである。しかし、ここで注意しておきたいのは、正しく生きることは必ずしも幸福であるとは限らないということである。また、悪く生きることが必ずしも不幸とは限らないということである。すなわち、自由を愛する者にとって、初めて自由は正しく幸福なのであり、自由を愛さない者にとって、自由とは悪であり、不幸なのである。なぜなら、自由であるより束縛され、管理される方を好む者も多いからである。よって、正しさとはすべての人間にとって必要なものではないということである。あくまでも正しさを愛する者にとって初めて正しさは正しいのであって、悪を愛する者にとって、悪が正しいのである。よって、何が正しいかは各人によって異なる。言い換えれば、人の数だけ正しさは存在するということである。よって、万人に共通する正しさとは何かを追及すること自体が悪なのである。よって、結論として、万人にとって共通する正しさなど存在しないという認識こそが初めて正しいことなのである。

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