今日の箴言
人間は規則ではそれを制御する事は出来ない。例えば、あなたはタバコを飲んではならないとか、あなたは離婚してはならないとか、~ねばならない、という禁止文句で人はそれには決して従わない。人間は損得で生きる生き物であり、かつ、人間は倫理的に生きる生き物であるのである。例えば、ある人が不倫をして、その結果、離婚したとする。彼は離婚する前に牧師からあなたは離婚してはならないと戒めを受けていた。なぜなら、離婚は神の御意志に反するというのがその牧師の意見であった。しかし、彼はそれを知りながらも不倫の誘惑に勝てず、別の既婚者の異性と寝てしまったのであった。しかし、この事が原因で、離婚した為に、既に2人の間にいた子供は精神的に酷くショックを受けた。愛し、信じていた両親に裏切られたのだ。彼は心の拠り所を無くし、精神的に病んで鬱病になってしまった。しかし、精神病院で精神科医に治療を続けてもらう事で何とかその鬱病を克服する事が出来た。彼は今では普通に働いて結婚もしている。しかし、彼の固く決意している信念は、決して不倫しない事であり、夫婦喧嘩をしても決して離婚しない事であった。なぜなら、親の離婚というものが、いかにその子供達に癒しがたい傷をつけるかを身をもって経験しており、いかに人間の人生にとって狂いを生じさせる無駄であり、損失な事であるかを味わい知っていたからである。この様に人は自分自身の身に直接損失を与える事を経験しなければ、それをしてはならないという意味を悟る事が出来ないのである。もう一つの事例を述べよう。ある人格者がいた。彼は神を心から信じて、愛していた。しかし、一つだけ問題があった。それは彼は普段はおとなしいのだが、何か人から迷惑を受けるとすぐにかんしゃくを起こし、短気で気性の激しい人間であったからである。彼は自分の気性の荒いのを既に自覚していたし、それを直そうと思っていたが、なかなかそれを改める事が出来なかった。しかし、ある時、神を全く信じていない人から、あなたは神を信じていると言いながら、他の人にかんしゃくを起こして、怒りの感情を露わにしている。私はあなたが本当に神を信じている人間だとは思わない。あなたの神は偽り者だと言われた。彼はそれを聞くとがっくり肩を落とし、自分の深く愛している神の評判を、自分の性格の欠点のせいで、神など信じていない人から中傷された事を深く恥じた。そして彼は、神を愛しているという倫理感の故に自分の性格全体をすべて見直し、この短気な性格を全く根絶しなければ、神に誉れを帰すことなど出来ない事を悟り、必死に努力して、遂にはその短気な性格を直す事が出来た。この様に人は、自分の持っている倫理感、すなわち、良心が深く傷つかないとそれをしてはならないという意味を本当に悟る事が出来ないのである。