高田義裕の人生論

今日の格言

まず、自分自身が幸せでなければ、他の人を幸せにすることはできない。

他の人々をすべて、自分自身の分身と考えなさい。そうすれば、他のすべての人々に好意を持てるようになるから。たとえ、相手が自分自身にとって苦手な存在であっても。

高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

木を見て、森を見ず。森を見て、木を見ず。

人間1人1人は正しくなければならない。これは、言い換えれば、人間は欲望を抑えて、質素に生きることが最善である、と世間は言う。しかし、この価値観はまさに木を見て森を見ず、である。森という人間社会全体を見る時、すべての人間が一様に同じ価値観、すなわち、正しい人間であるとしたら、人間社会は上手く回らないだろう。これは、言い換えれば、すべての人間が欲望を抑えて、質素に生活すれば、社会全体はすべては貧しくなり、経済は盛いを失って、経済は立ち行かないのである。森という、マクロな視点で言えば、多様性こそが正しいのであり、贅沢が好きで、無駄遣いをしてくれる欲望の強い富裕層がお金を落としてくれるからこそ、社会経済は成り立ち、人は生きて行けるのである。よって、人間個人というミクロな視点、すなわち、一つの木を見た場合、人間1人1人は正しくなければならないが、今一度、視点を移し、マクロな視点、すなわち、森を見た場合、人間社会全体は、正しい人間もいれば、悪い人もいて、当然なのであり、いろんな価値観を持った人々がいるお陰で成り立っているのである。すなわち、多様性こそ、正しいのである。よって、我々の目は、木を見て、同時に森を見ることはできない。すなわち、言い換えれば、観察する対象を顕微鏡で見ながら、同時に望遠鏡で見ることはできないのである。すなわち、全体と部分を同時に見ることはできないということである。よって、人間にとって、人間は常に正しくなければならないということは、絶対的価値観[真理]ではないのである。すなわち、人間にとって、絶対的価値観、もしくは、絶対的存在[神]を追い求めること自体が悪[間違い]なのである。よって、神を信じる者もいれば、神を信じない者もいるのが当然であり、健全なのである。よって、正しい意見には必ず反対意見が存在しなければ、健全とは言えないということである。

高田義裕の人生論

今日の格言

新貨幣論

世界中にある様々な国々の貨幣の中で、どれが一番安心できる通貨だろうか?例えば、現在、人類は78億人いるとしよう。そして、その中にあなたという1人の人間がいる。仮にあなたの名前をジョンとしよう。あなたはそれだけでジョンという立派な通貨である。しかし、世界中にたくさんいる人々の中であなたというジョンは1人しかいない。すなわち、ジョン貨幣を使えるのはあなたしかいないということだ。これではあまりにも個人的でローカルな通貨に過ぎない。しかしあなたは日頃からまじめに働いて、次第に周りの人々から信頼を得るようになった。それで、周りの人々はあなたを信用してジョン貨幣を買ってくれるようになった。しかし、ある時、ライバルであるあなたより影響力のあるスミス氏が現れた。あなたのジョン貨幣は10人の人に買われていたいたのに対し、スミス貨幣は100人の人に買われていた。すると、どちらの方がよりメジャーであり、信用できるかというと、残念ながら、スミス氏の方になる。なぜなら、単純にスミス貨幣の方がジョン貨幣よりも数が多いからである。しかし、さらに、スミス氏よりトップインフルエンサーであるマイケルが現れた。なんと、マイケル貨幣を持っている人の数は10000人もいたのである。これでお分かりだろう。貨幣の価値、すなわち、信用度の高さは、その通貨を利用している人間の数の多さで決まるということである。この世界で一番多くの人が利用している通貨はドルである。よって、通貨の信用度は、通貨の使用量の多さに比例する。よって、結論として、今もまたこの先も一番安心できる通貨はドルということになる。よって、すべての国々の人はいつ襲うか分からない大恐慌に備えて、一番、世界中で流通しているドル貨幣をいざという時のために保有しておくと良いだろう。