高田義裕の人生論

日本語で病気は、病みと言い、(やみ)と読む。日本語で暗やみは闇と言い、(やみ)と読む。病みと闇は同じ意味であり、キリスト教で言う光は神であり、闇は罪である事から来ているのである。すなわち、病みは闇から出ており、人間が光の源である神から離れた罪こそが闇の行為なのである。すなわち、あらゆる病気の原因は神に反逆した罪の精神、すなわち、心のゆがみから生じているのである。よって、あなた方、医者達はあらゆる病気を治そうと、あらゆる物理的療法を試してはいるが、決して物理的療法で病気を治すことはできない。西洋の現代医学は、物理的療法であり、物理的療法である限り、決して病いを治すことはできない。病は気から、というように、病は正しい神からの違反という倫理的問題から、生じており、倫理的問題は倫理的に解決しなければ、決して解決しないのである。よって、すべての苦しみの根本原因である病み(闇)は宗教によって、救済されるしかないのである。すなわち、どんな先端医療技術を開発しようが、最新の進化論の理論を提唱しようが、人間の理性ではこの世界にはびこる犯罪や苦しみや苦痛は解決できないのである。すなわち、人間の理性が生み出した科学(サイエンス)には限界があるということである。すなわち、科学万能の時代は当の昔に終焉しているのである。