高田義裕の人生論

今日の箴言

ある2人の大富豪がいた。彼らはある時、偶然ばったり会い、久しぶりなので近くの喫茶店で少し話をすることにした。彼らは座席に座ると、コーヒーを2つ頼んで、会話を始めた。

最近の近況はどうだい。と1人の彼が言うと、もう1人の人は、

そうだね、仕事は順調に行っているし、最近は海外に出張する事が多くなって、それで先日、大きな買い物をしたよ。

何を買ったんだい。もう1人の彼が聞いた。すると彼は答えて、

飛行機を買ったんだ。ジャンボ旅客機のでっかいやつ、ボーイング社の747BBJだよ。420億円もしたんだ。

それを聞くともう1人の人は、

そりゃー凄い。君は総資産をどれだけ持っているんだい。すると彼は、

そうだな、大した事無いけど、1000兆円は下らないと思うよ。と彼は言った。

相手はびっくりして、

そりゃー凄い、僕でも100兆円しか持って無いよ。君の10分の1だね。

それはそうと、君の近況はどうなんだい。と飛行機を買った方の彼が言った。

そうだね、僕も仕事の方は順調に行っているし、最近は仕事の事はすべて部下に任して、少しボランティアを始めたんだ。

ほう、どんなボランティアだい。すると彼は言った。

最近はどこも不景気で、仕事を失った人達で溢れている。そういう人達を支援するボランティアさ。と彼が言うと、もう1人の人が、

そういうのは何か儲けがあるの。と聞いた。すると彼は答えて、

何にも無いよ。本当に慈善事業さ。するとそれを聞いた彼は、

それは凄い。何でそんな気前がいいの。すると彼は言った。

気前がいいわけで無いさ。つい先日、書店で、[浮浪者の現実]というドキュメンタリー的な本を読んで啓発されたのさ。するともう1人の人は聞いた。

どんな内容なんだい。すると彼は言った。

そうだね、浮浪者の現実というものは、はなはだ厳しくて、彼らは最初は仕事もしていたんだが、彼らは人並みの仕事の量がこなせなくて、社長にこっぴどく怒られて、厳しいパワーハラスメントを受けるんだ。そうしている内に心を病んで、仕事を続ける気力が無くなり、自分から仕事を辞める人が大部分なんだ。そうして、昨日までアパートメントに住んでいたのに、家賃を払えなくて追い出され、今日は橋の下で野宿ってわけさ。

それは大変だね。と彼が言うと、もう1人は、

そう、大変なんだ。それも友達にも親族にも助けを求める事が出来ないんだ。

なぜだい。と彼が聞くと、

彼らの親達は皆、貧しくて、親元に帰っても親は彼らを養っていく事が出来ないんだ。たとえ、家に帰っても何も無い。また、彼らに共通しているのは、みんな半人前のくせに、プライドだけはすごく高いんだ。仕事に対するやる気も乏しいし、生意気な態度を取る。そりゃ、周りの人達からは見放されて、全く孤独なんだ。

そりゃ、ひどいね。と彼が言うと、

そうなんだ。ある意味、どうしようも無い人達だよ。そういう人達を最低限、生活させて行こうという試みなんだ。すると相手は聞いた。

具体的にどうするんだい。すると彼は言った。

まず、土地を購入したのさ。それは、陸の孤島の離れ島なんだ。大きさは日本列島ぐらいの大きさ。すると相手は、

それは凄い。島にしては大き過ぎるね。すると彼は、

そうでも無いさ。太平洋のほぼ真ん中に位置する何も無い所だから、土地の価格はゼロに等しいんだ。そこに生活必需品や建築用の木材をヘリコプターで運んで、屋根付きの施設を作るんだ。そこに世界中にいる浮浪者達を連れて来ては、そこに住まわせるんだ。と彼は言った。それを聞いた相手は、

彼らは君のお陰で平和に暮らしていける様になったんだね。と言うと、彼は首を横に振り、

全然平和じゃ無いよ。と言った。

どうして。と彼が聞くと、

毎日施設の中では、人間関係の問題で争いと喧嘩が絶えないよ。彼らほどのレベルの低い者同士でも、優劣の区別が生じているのさ。彼らの中からでさえ、回りを仕切るボスの様な者さえ現れ、互いの派閥に分かれて対立しているのさ。昨日なんかはひどかった。シャワールームを使う順番の優劣で争い合い、1人が喧嘩で死んだんだ。私は、総責任者として、殺した相手のボスを独房に入れなければならなかったし、死人も誰も掘り起こせない別の場所に移して、埋葬しなければならなかったからね。それを聞くと相手の人は、

そりゃー大変だ。そんな事続けていけるのかい。と言うと、彼は苦笑いしながらこう言った。

確かに大変だけど、1つだけ良い点があるんだ。それはね、その島には50万人の囚人がいるのだけれども、どんなに喧嘩の強い奴でも、どんなに反抗的で粗暴な人間でも、僕の言う事には皆、従うんだ。私が、それをするな、と言うと、彼らは私の事を総責任者と呼んで敬礼し、誰もそれをしなくなる。まるで自分が神になった様な気分になって愉快なのだよ。それを聞くと相手は、

すごいね。みんなどんな悪党でもその島全体が1つの国の様になっていて、君を王として奉っているんだね。君は一国の支配者っていうわけだ。それを聞くと彼は、

いやいや、そういうわけでは無いけど、私は最近、ある1つの事に気付かされたんだ。すると相手は言った。

それはどんな事だい。すると彼は言った。

それはね、私の所有している島の名称は、[X収容所、最後の砦101号室]と言うんだが、この我々の生きている広い世界も、単なるX収容所101号の拡大版に過ぎないって事をね。私の島で起きている事は、この全世界で起きている事のひな型であり、模型版に過ぎないと。彼が言うと、相手は、

なるほど、レベルは違っても本質は同じって事だね。と言うと、彼は、

そう、まさにそういう事さ。相手はそれを聞くと、彼にこう言った。

君は、僕の総資産の10分の1しか持っていないと言ったけど、君の方が遥かに資産を持っているよ。僕はジャンボ飛行機しか持っていないのに、君は全世界を牛耳っている支配者だからね。僕には世界をコントロールするほどの力量は無いよ。君の勝ちだね。そう言うと、2人は会話を終え、互いに別れた。

そうである。読者よ。私達の住むこの広い世界も、塀の無い巨大な収容所であり、私達一人一人は、半人前のどうしようも無い浮浪者同然であり、囚人に過ぎないと言うことを。そして話に出て来た彼の島には、彼という最高責任者がいた様に、我々の世界にも、誰も逆らえない支配者が1人だけいるのである。その正体は、とんでも無い悪党中の悪党である悪魔サタンなのである。

 

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

すべて、物事を成し遂げる為には、一握りの勇気と少しのお金と地道な努力の積み重ねが必要なだけなのである。

2.自由の定義とは、ただ漠然と何でも許容されているという様な、無意味な状態を指すのでは無く、自由とは、自分より遥かに強い立場にある者からの束縛から解かれている状態を初めて指すのである。もしあなたが会社員なら、あなたは自分より上の上司からの束縛から解かれていないのであり、あなたが政治家なら、あなたは自分より上の支配者からの束縛から解かれていないのであり、あなたが経営者なら、あなたは毎月の売り上げの数字の束縛から解かれていないのである。すべて皆、何かの奴隷状態にあって、自由を満喫している者など1人もいないのである。

3.神からの裁きの音信は、この世の中において、成功を収めている者、能力のある故に自らに誇る理由を与えられている者、すなわち、この世の中で富んで恵まれている者達にとっては、彼らが富めば富むほど、その損傷の深手は大きいものであること。よって、神はこの世の中において、惨めな者、貧しい者、見下げられた者、取るに足りない者、すなわち、この世の中において貧しくて恵まれていない者達を選んで、有る者が無になる様にされたのである。なぜなら、誰も神の御前で誇る事が無い為である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

物事に対して、荒療治、すなわちショック療法でやらなければ、人間にとって本当の変化や治癒は期待出来ないのである。例えば、あなたは異性からフラれるのが嫌で、いつまで経っても好きな人に告白出来ないか。自分が傷付く事を恐れていては、決してそれ以上前に進む事は出来ないだろう。勇気を奮い起こして相手の異性に告白して、そしてフラれてもそれでいいではないか。そこであなたは自分の全存在を全否定されたと感じるかもしれないが、それでショックを受け、自暴自棄になるのでは決して無く、好きな異性にフラれた今こそが、自分という全人格を見直し、自分をチェンジするための良い機会だと肯定的な見方をし、なぜ相手にフラれたのかよく考え、行動する事によって、初めてあなたの人生は前へ動き出すのである。また、いつまでも真剣勝負をせず、自分に都合のいい妄想に耽って自分を甘やかす状態から抜け出し、何でもいいから、自分はこれだけは他の人に負けないという分野で他の人と真剣勝負をして見れば良い。自分の全力を出してたとえ、相手に敗北したとしても、自分は負けるはずが無いというプライドがズタズタに引き裂かられても、その現実を受け入れられる精神力を持って、初めて自分のレベルを思い知らされる事によってのみ、人間は真剣に人生に対して取り組む姿勢が生まれるのである。よって自分にとって嫌な事柄から逃げてはいけない。たとえ、逃げてもそれは必ず、どこまでも追いかけて来て、いずれは自分の望まない仕方で悪い報いを払わされる事になる。そうなってしまってからではもう遅いのである。歳を重ねて自分の問題から逃げて来た者は、後には、何の報いも無い、苦しみと苦労だけの地獄が待っているのである。それは歳を取れば取るほど不利なものとなるのである。どうせいずれは苦労しなければならないのなら、まだ、若いうちに、自分から自分の苦手な問題に身を投ずるべきなのである。そうして経験する苦しみや苦労は後になって、あなたの良い報いとなってあなたを保護するであろう。

高田義裕の人生論

今日の箴言

物事の初まりとは、すべて、最初に生み出す事から始まるのでは無く、まず最初に学ぶ事から始まるのである。よって人生、すべてにおいて、学ぶ事だけに徹して行けば良いのである。

2.人間関係は、決してこれら消極さを意味する、退屈な、惰性的で、馴れ合い的な、お互いの傷を舐め合う様なものであってはいけないのである。

3.一生懸命努力し続ける事が、人間にとって何事にも代え難い精神安定剤なのである。人は何かに集中している時、その時は自分の悩みや病気の事を忘れるのである。逆に人は悩みがあったり、病気である時には注意力散漫であり、一つの事に集中出来ないのである。

4.良薬口に苦し、であり、それと同様に神の、人にとって有益となる掟も、私達不完全な人間にとっては耳の痛い、厳しく苦い音信なのである。

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

神の弱さは、人間より強く、神の不足さは、人間にとっては、与えて余りあるのである。

2.私達は、行動する手間を取りたく無いくせに、欲望ばかり一人前なのである。これは、端から見れば、滑稽で情け無いものであり、私達自身にとって、恥ずかしい事なのである。まさに私達は歳を重ねても、いつまでも子供の発想であり、いつまで経っても大人になれないのである。

3.私達は、人としての中身が追い付いて行かないから、せめて、外見だけでも良くして、自分を良く見せようとする事に必死なのである。

4.堕落した人間は、堕落した囲いの中でしか生きられないのである。彼らにとって、神聖さや貞潔さは毒を意味するのである。

5.この世の中のすべての営みの発端は、取り敢えずこれをやって行こう、やって行くしか無い、という不自由で選択肢の無い動機から来ているものばかりなのである。あなたはどうか。今やっている仕事はあなたがしたくてやっている仕事だろうか。おそらく、そうでは無いだろう。それはあなただけでは無い。ほとんどの人もそう感じているのである。すなわち、自分のしたい事をして食べていける人は少ないのである。

6.人間、並の者なら誰でも、少し人気が出たり、波に乗ると、ついつい油断してしまい、セクシャルハラスメントを犯してしまうのである。

7.人間は、自分が最初から自分で造り出したものについてのみ、真理(真実)を獲得する事が出来る。

8.人生とは、その最初から未定(未完成)なものなのである。

9.人生とは何か。それは与える事である。

10.人間にとって、生き続けるという事は、努力し続けるという事と同一なのである。

11.死ぬまで人生の現役である様にしなければならない。

高田義裕の人生論

今日の箴言

急激な変化は、人にとっては死を意味するのである。よって、今現在、間違っているとしても、正しい事を急に、無理やり強要する事は間違っているのである。人間は間違いを正すのには、膨大な量の時間が必要なのである。よって間違いを直すにしても、各人のペースで少しずつ徐々にやって行かなければその人は立ち行かないのである。

2.人生の目的とは、生きている間、いかにどれだけ自分の為に蓄えるかでは決して無く、いかにどれだけ他の存在に与えられるかにのみ、かかっているのである。

3.あなた方は、神のものは神に、そして隣人のものは隣人に、そして自分のものは自分自身に返さなければならないのである。そしてすべてのものは、究極的には全部、神のものなのである。

4.あなた方は、互いに愛し合わなければならない。なぜなら、あなた方は互いに愛し合わないからである。

5.神の、私達に対して約束された事柄はすべて、神という存在を本当に信じていなければ、決して果たされないものばかりなのである。ここが信仰の必要として来るところである。

6.あなた方は、隣人のいかなる魅力的なものでも、決して、欲しては(盗んでは)ならない。

7.実力の無い者ほど、口数が多いのである。

8.神の目的は、人類のもはや、どうしようもない罪深さという、マイナスエネルギーを、そのまま生命力という逆の方向の、プラスエネルギーに瞬時にして転換する事なのである。

9.この邪悪な世の中で、より高い立場にある者ほど、神の裁きの日において、より大きな痛手を被るのである。

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

日本人が日本人の事を駄目だ、と言ったら、それは客観的態度と言えるであろうか、それとも主観的態度と言えるだろうか。そのどちらも言える。すなわち、日本人が日本人の事を悪く言っても、それは日本人が言っている事だから、多分に主観的であり、感情的であり、正確で、冷静な判断とは言い難い。しかし、日本人が日本人の事を悪く言う事は、それは日本人の事をよく知っている日本人である故にこそ、真実性の重みを帯びている。それは客観的態度であり、内省的であると言える。では、これをそっくり人間に当てはめて考え、人間が自分自身の事を自分は駄目である、と言ったなら、それは客観的態度であろうか。それは所詮自分の事を自分に言及している点で、どうしても自分に都合の良い考え方という主観の域を出ないものであるから、客観的で正確な分析とは言い難い。しかし、逆に、自分の事を自分は駄目であるという事は、自分自身の事をよく知っているのはその人本人しかいないから、それを言う事は他の立場の人間がそれは間違っているなどとは言えない。すなわち、多分に内省的であり、冷静で客観的態度であると言える。要するに、数学においては、α=-αという矛盾を認め無いが、この世界においては、それ自身がαでもあり、-αでもあるという自己矛盾を抱えている事柄は無数に存在するのである。

2.何でも手に入れる事が幸福なのでは無い。むしろ、どんなに努力しても手に入れられなかった事の悔しさを感じる事こそが、人間にとって本当の幸福なのである。例えば、あなたは初恋をした事はあるだろうか。年上の異性の事を好きになり、相手に対して憧れ続けるのだが、決してその恋は実る事は無い。その好きでも決してそれを手に入れる事の出来なかった悔しさと無念さと切なさが、今でも心の中の熱い永遠性を持って、自分の心の純粋さと言う財産になっているのでは無いだろうか。もし、それが簡単に手に入るものであるのなら、それほどの時が経過していても、色あせる事の無い永遠性という価値は得られなかった事であろう。すなわち、永遠の憧れを持ち続ける事こそが、人間の心を純粋にし、幸福にしてくれる唯一の源なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

常に忘れてはならないのは、大きな成果も、小さな一歩の延長線上にしか存在しないという事である。よってどんなに小さな事であっても、それを行い続けなさい。その継続が後に大きな成果を生むのである。

2.人間にとって、人生ははかなく短い。よって大切な事は、自分のあまり興味の無い事など無理してする必要など何処にも無く、自分の興味のある事だけをすればそれで良いのである。

3.内気な人に対して、引っ込み思案だから、引っ込み思案のままで良いのでは決して無く、引っ込み思案だからこそ、少しでも自分の事を知ってもらえる様に、他の人以上に、周りの人と接触して行かなければならないのであり、それを実行するのは苦しいかもしれないが、このパラドックスをきちんと認識しておかなければならないのである。

4.賢いとは、すべての事を知っている事では無く、自分自身の事を知り尽くしているという事を初めて指すのである。その意味において、人は自分自身の事が一番よく分かっていない存在なのであり、すなわち、賢い者は1人としていないと言う事である。

5.まず、自分が幸せでなければ、他の人をも幸せにする事は決して出来ない。

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

現実主義も度を越すと、超現実となり、空想となること。

2.物が豊かになってしまった分、人々は助け合わなくても、1人で十分暮らしていけるようになった。それで人々は、互いのコミュニケーションをする手間(努力)を鬱陶しく、面倒なものと考えるようになってしまったのである。それによって、人間関係が甚だしく、希薄なものになってしまっているのが現在の状況なのである。これが人々の孤独を助長し、孤独が人々の心を蝕み、あらゆる異常な犯罪の温床となってしまっているのである。

3.この世の中は、すべて最終的に心掛けで決まるのである。だから、たとえ同じ事をしても、普段から良い心掛けをしている者と、普段から悪い心掛けをしている者とで、結果が全く違って来るのである。

4.人は自分が正しいと信じている事を貫き通す為には、他の人から嫌われる事を恐れてはならないという事である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人間にとってコンプレックス(劣等感)は大きな起爆剤として、その人のモチベーションを高め、向上心を促し、自分のレベルを挙げるのに威力を発揮するが、それはある程度までで、コンプレックス(劣等感)が強すぎて、自分自身の自尊心が激しく傷付けられる様であっては、心の健康を害し、病気になって2度と立ち上がる事は非常に困難なものとなる。すなわち、コンプレックスが少な過ぎても、コンプレックスが強過ぎても人は向上出来ないのである。すべては、ちょうどいいバランスであり、コンプレックス(劣等感)も適度なレベルのものでなければならないのである。ここでちょうどいい絶妙のバランスの量をα量としよう。よって、それ以外のものをアンチα量としよう。この世の中にはアンチα量なもので溢れかえっているのである。すなわち、全体の量を1として表し、コンプレックス(劣等感)が多過ぎる事は、α量+α量=1と表される。なぜなら、アンチα量の最大値は1-α量だからである。逆に全体の量を1として表し、コンプレックス(劣等感)が少な過ぎる事は、nα+b=1と表す。よって、2α=1であり、1に2αを代入すると、nα+b=2αとなる。よって整理して、b=2α-nαとなる。これをnα+b=1に代入して、nα+2α-nα=1となる。よって2α=1となる。すなわち、α=2分の1となる。結論として、すべての物事に対する絶妙のバランスは、全体の半分に等しい。