高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

私達がどれだけ神エホバを愛していると言ったところで、実際本当に神エホバを愛しているかどうかは定かではない。それは常に自己満足の域を出ない。しかし、エホバ神に感謝する事は、それがたとえ、どんなに僅かな事であっても、感謝をしている事には変わりはないのである。これはまるで、1人のある若い娘が、階段を降りようとしている老人を、傍で支えながら降りるのを手伝っているようなものである。すなわち、心は見えないが、思いやりは見えるのである。よって、私達は常に神エホバに感謝し、そして神エホバを本当に愛する事が出来るように常に神に懇願し、祈り続けるべきである。

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