高田義裕の人生論

今日の箴言

あなたは、電車に乗っている。電車は速度80キロメーターで走っている。あなたには、この電車のスピード感を感じることはない。地球だってそうだ。地球も太陽の周りを猛スピードで回っているが、その中にいる私達には、そのスピード感を感じることは出来ない。これと同様に、病気でも、自分が病気であると、自覚出来るレベルでは、大して重い病気のレベルではない。本当に致命的な病気の場合は、地球の速さの様に、自覚症状がない。そう、本当の重病人は、自分が病気であることを知らないのである。むしろ、自分は健康で元気であると思っている。すべての人間はいずれ死ぬ。普段、健康に見えていた人が、突然死ぬという事は、日常茶飯事である。この様に、鬱病でも、自分が苦しくてたまらないという自覚症状がある時は、それは大した鬱の状態ではない。むしろ、苦しいとか、辛いとかの自覚症状がない鬱状態こそ、本当の致死的な鬱病である。よって、死にそうな程、苦しい思いをして鬱病と戦っている者達よ、あなたの鬱病はもはや治らないほど悪いのではない。もっと安心感を持ちなさい。今は、苦しくても、あなたの鬱病は必ず治るからである。あなたの病気が治る保証は、あなたが今、実際に苦しんでいることに裏付けされるからである。もう出遅れで、治らない病気の状態には、苦しいとかの自覚症状はないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

物事の当然の正しい順序として、まず、自分の手の内を見せて、まず自分の方から、心を開くから、その後に初めて、相手の人も心を開いてくれるのである。これと同様に、何事も、自分が何か人から得るのに値するほど偉いとか、誉れある人間だからという理由で人はあなたに与えてくれるのでは決してないのである。そうではなく、まず自分から、率先して相手に与えていくから、初めて、相手も自分に与えてくれるのである。これが、本来の人間関係の当然の、かつ、健全な正しい順序であるのである。しかし、この世の中に孔子の言う立派で賢い君子という存在が居なくなると、世の中は、こせこせして、小利口ばかりが横行する様になる。すなわち、生きた立派な手本になる人物が居なくなると、世の中の人々は、皆、損得勘定で物事を捉えがちになるのである。そうなると、当然、社会は、法治国家ではなく、汚職や賄賂、差別、横領が当たり前の不健全な社会になるのである。いわゆる人治国家である。現在の民主主義も、賢くて模範的指導者が居ない為、まともな正しい方向性も与えられないので、だんだんと衆愚政治化して行っているのである。衆愚政治とは、この場合、多数決主義になるという事であり、意見の多い方が正しいとされる政治体制である。しかし、歴史の必然として、多数派が常に正しい選択をするのは、稀で、古今東西、常に正しいのは、少数派な人達(マイノリティー)なのである。物事は短期的な利得で捉えられがちになり、それは、地球全体に悪影響を及ぼし、いずれは、人類社会の滅亡が頭をもたげて来るのである。物事は、常に長期的な利得で考えていかなければ、良くなって行かないのであり、今さえ良ければいいという考えで、将来の息子や孫達の事も視野に入れた、長期的計画を人類は、探っていかなければならないのに、それを視野に入れず、このまま排気ガス汚染、産業廃棄物の垂れ流し、貪欲な利得主義を続けていたら、必ず自滅するのである。昨今の世界中で起きている大規模な自然災害は、その日がもう近いという事を、前もって我々人類に警告を与えているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

登りがあれば、必ず下りがあるのではありませんか。よって、今苦しい思いをしている人は、後で必ず、楽な思いをするのです。

2.人は人を裁く事は出来ない。よって、人は他の人のいかなる悪い所も裁けない代わりに、他の人も、あなたのいかなる悪い所も裁けないのである。ただあるとしたら、各自、自分の行った態度や行動に従って必ず報いを受けるだけである。もし、あなたが悪い事を行い続けるなら、いずれあなたは、必ず悪い報い(ダメージ)を受けるのであり、逆に、あなたが良い事を行い続けるなら、いずれあなたは、必ず良い報い(アドバンテージ)を受けるという事である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

この世界には、最高の状態も最悪の状態も共に存在する。よって、すべては、人間本人の物事の使い方、考え方次第でどの様にでも成る、すなわち最高の状態にもできれば、最悪の結果に成る事もできるのである。よって、人は、悪い所ばかりを見て、短絡的に悲観視すれば、あなたにとって、周りの状況は、悪い方に向かって行くのであり、逆に、良い所ばかりを見て、何事も楽観的に考え、プラス思考で行けば、周りの状況は、良い方向に向かって行くのである。よってたとえ今が最悪でも、悲観する誘惑と戦いなさい。たとえ辛くても、それ以上悪くならない為に、元気なふりでもして見なさい。それを続ける努力をしていれば、徐々にではあるが、必ず物事は修復へと向かうからである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人にとって、人生は皮肉だ。なぜなら、若い時は、知恵や知識において欠けており、未熟である。しかし、知恵や知識や経験も増えて、物事の本質と全体をわきまえ知る様になる頃には、もはや、年老いて老人になってしまっているからだ。お金もそうだ。若い時は、給料も安く、お金が無いが、ある程度のお金が貯まった頃には、これも、年老いて老人になってしまっているからだ。どちらも、知恵も知識もお金も、若い元気な時こそ、使うべきなのに、現実はそれができず、年老いて元気も無く、頭や体が衰えてしまってから、それらのものがあっても、使い道が全く無くなってしまっているからである。

2.何事も、優位な立場にばかり居ては、本当に優位に立つことは出来ない。すなわち、子供の頃から、大人に成るまで、順調に出世街道を進んで来たエリート達には、世の中の事は、分からない。人は、あくまでも、本当に悔しい思い、惨めな思い、悲しい思いを味わって、そこから這い上がって来なければ、本当に世の中の事が分かる、人格的に幅のある優れた人物にはなり得ないからである。

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

健康な者には、病気の者の世界は、知り得ないこと。よって、健康な事は大事な事であるけれども、決して万能ではないこと。すなわち、健康な人の世界も、病気の人の世界も、両方知り得ている事が万能なのである。

2.真理とは、たとえ一回でも得れば、もはやそれ以上、二度と必要としないものであること。よって、偽りは、飽くことを知らないのである。例えば、隣人を愛する、という真理を学んだ者は、もはや二度とそれを学ばなくても、隣人を愛する事を忘れたりはしない。すなわち、隣人を愛することによって満ち足りるのである。しかし、お金を愛する者は、その収入に満ち足りる事が無い。まさに、飽くことを知らないのである。金は偽りであり、不義の富なのである。

3.常に正しい者には、悪い者の世界は決して知り得ない。よって、正しい事は、大切な事だけれども、決して万能ではないのである。すなわち、正しい者の世界も、悪い者の世界も、両方知り得ている事が万能なのである。

4.たとえ、自分が、どれだけ酷い目に遭い、最大の犠牲者となり、どれだけ屈辱を受けて低められようとも、また、たとえ身内の誰かが死のうとも、あなた自身が生きている内は、希望もあるし、救われる余地は、必ず残されているのである。

5.自分の栄光を増し加える者は、自分の苦悩をも、増し加えるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

もし、確かに、何の欠点も無い者に、自分のことを否定されたのであれば、それはもう、後は死ぬしか無いが、お互いに不完全で、罪深い、様々な面で欠点のある人間にたとえ、自分のことを悪く言われても、ぜんぜん痛くもかゆくも無いのである。そんなことは、気にするだけ損であり、人の事をあなたは言える立場にあるのか、と笑い飛ばしてしまえばいい。

2.互いに立場の低い者同士は、決して立場の低い者ではなく、自分より立場の低い者に対して、高慢に振る舞う者こそ、本当に最も低い者なのである。

3.愚かな者、弱い者は、それ故に、自分の限界をわきまえ知っている点で、賢い者であり、決して無理をしないから、自分の身を注意深く守っている。しかし、賢い者、強い者は、それ故に、自信過剰であり、自分の限界を知らない点で、愚かであり、知らずに無茶をして、自分の身を死に陥れるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

逆的意思表示として、本人が、ある事に対して、非常に恐れている場合、表面的には、それに対して非常に強く、かつ、非常に強気の姿勢を示すこと。また、人がある事で非常に自信があり、それに対して誇りの気持ちでいる事は、その強気の態度とは裏腹に、また別の事で、非常に弱く、脆くて怯えている無自覚の態度の裏返しであること。

2.人は、生活に恵まれて、多くの物を所有すればする程、保守的になり、守りの姿勢になって、新しいものに対して臆病になるのである。それに対し、何も無い者は、活動力と向上心に満ちており、常に革新的で、人生に対して、攻めの姿勢になり、何か新しいものは無いかと尋ね求め、勇敢で積極的になるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

賢くなりたければ、その逆に、最も愚かな者とならなければならないのであり、これが真の賢い知恵である。なぜなら、あなたがもし、上に届きたい時には、ジャンプをするであろう。ジャンプする時は、まず、下の方にかがんで弾みをつけるはずである。要するに、何かをする時には、まずその逆のことをしなければならないのである。しかし、大半の人は、それを知らず、ただ、それをひたすらするだけである。例えば、上に届きたい時、人はただ、上に背伸びをして上がろうとするが、それだけでは届かないのであり、いっぺん一番下までしゃがんで飛べば、上に届くのである。よって、富んだ者になりたければ、いっぺん極貧を味あわねばならないのであり、幸福になりたければ、いっぺん不幸にならなければならないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

たとえ最高善と、最高悪が存在して居ようとも、そのどちらも少しも経験する必要はないのであり、程よい善と程よい悪という平衡(バランス)の取れた範囲内で無ければならないのである。

2.はっきりと言っておく。およそ、この世界に、どの派にも属さない中立の立場や考え方や意見などというものは、存在しないこと。すなわち、意見を言うこと自体が一種の派閥であり、毒なのである。よってこの世界に存在するすべての意見や考え方には、何かしらの偏りが見られるのであり、決してすべてを包含するスマートで無害な思考など無いのである。