今日の箴言
聖書の主張は、どんな時でも、論証もしくは、説得の言葉によって訴えているのでは決して無く、人々の良心、良識、常識、正常心に訴え続けているのである。
2.聖書の主張は、どんな時でも、人々に強要する為に書かれているのでは決して無く、人々に推薦し、懇願しているのである。
3.経験的に言って、エゴイズムを育てる培養土は、怠惰さである。よって、エゴイストは、基本的に怠惰な者達であるのである。
4.人の人生とは、つつがなく、その場限りの、全力を出していない、その時だけを取り繕うとする態度で取り組めるものでは決して無く、まさに、自分のプライドも、誇りも、余裕も全く無く、常に、必死で、全力で、本気で取り組まなければならないものだったのである。
5.人生を生きていく上で、物事を単純に好きか、嫌いかだけで決めて行動していないか。世の中はそんなに単純で甘いものではない。すなわち、すべての現象を、全肯定したり、全否定したりするのではなく、また、あるものは好きだから、という理由だけで拾ったり、あるものは嫌いだから、という理由だけで捨てたりしては、人生を狂わせ、破滅させてしまうのである。よって、すべての現象に対して正しく生きる為には、(あらゆるものは使い方次第である)という態度を持つべきである。例えば、Aさんという人は、自己主張が強いから、私は嫌いだ、とAさんは悪い人と、決めつけるのではなく、また、Bさんという人は、おとなしいから、私は好きだ、とBさんをいい人と、決めつけるのではないのである。正しい見方は、あらゆるものは使い方次第なのであるから、AさんもBさんも、どちらも自分の都合の良いように利用するのである。すなわち、確かにAさんはわがままだけれども、その代わりに悩み事を話しても、それを他の人に言い広めたりしない。だから、Aさんは自分の悩みを聞いてくれるカウンセラーとして、キープしよう。また、Bさんは優しいけれど、その代わりに個人情報をツイッターで書き込んで他の人に広めたりする傾向にあるから、Bさんには、個人的な事柄は話さないようにし、その代わりに、普段仕事をする時はBさんは、何も言わないから、一緒に仕事をする時だけのパートナーとしてキープしよう、などというふうにするのである。こうすれば、誰が味方か、敵か、という浅はかな論理で自分の生活を振り回すのでは無く、すべての人と利害の一致により、仲良く出来るのである。これこそが知恵の道である。