高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

神はいつでも罪を犯した人間を憎まれた事など1つもなく、ただ、人が罪を犯した事によって、人が受ける苦しみの様を憎まれたのである。

2.罪を犯して悔い改めた者は、悔い改める必要のない者よりも神の目から見て、価値があること。

3. ナルシスト(自己愛主義者)たちに対して。

真に自分を愛さないとは、自分自身を愛していない自分をも愛さないという事も含んでいること。それで、あなた方は自分を愛していますから、自分自身を愛していない自分を愛しているのです。よって、ナルシストは本当は自分を憎んでいるのです。すなわち、ナルシストは自己愛によって、本当の自分を愛することから逃避しているのです。彼らは自分が否定されるのを極度に恐れます。それで真に自分を愛している者は、自分を否定されても平気です。なぜなら、自分を愛していないからです。よって、自分を愛する者は実は自分を憎んでおり、自分を愛さない者は本当は自分を愛しているのです。

高田義裕の人生論

今日の格言

日本は直ちに首都、東京を封鎖(ロックアウト)せよ。

今年は日本でオリンピックやパラリンピックが開催されるはずだった。しかし、予想外のヨーロッパやアメリカなどの西洋諸国の新型コロナウイルスの爆発的感染(オーバーシュート)によって来年に持ち越された。しかし、私が不思議に思うのは、オリンピックがまだ延期するか分からなかった時期の首都東京での感染者の数とオリンピックが延期されると決まった後での感染者の数が全く違う事だ。オリンピックを延期するか分からなかった時点での感染者の数は20人前後だったのに、いざ、オリンピックが延期となると、1日の感染者数が60人以上に急激に増えたのである。これはやはり日本の元首相、鳩山由紀夫氏が述べたように、日本政府はオリンピックを行いたいが為に、感染者の数を実際の数よりも低く発表していたのだ。これでは新型コロナウイルスの感染者数を実際よりも少なく発表している中国の隠蔽となんら変わりはない。やはり日本の政治家と官僚達は都民ファーストではなく、オリンピックの利権ファーストだったのである。もはや今日では、韓国の感染者数を超えてしまった。後3日間何もしなければ、確実に首都東京は爆発的感染(オーバーシュート)に至るであろう。それでも日本政府は緊急事態宣言を出す事に躊躇している。世界第一の都市、ニューヨークでさえ、アメリカ政府は直ちに首都封鎖(ロックアウト)を実行したのに、日本はまだ、もたついている。これもまた国民の命ファーストよりも、東京を封鎖することによって自分達の利権が脅かされるのを嫌って、自分達の私腹ファーストに走っているからであろう。はっきりと言っておく。この世の中の支配者である特権階級の政治家や官僚達は、人民の命などどうとも思っていない。アメリカ政府も爆発的感染(オーバーシュート)している割には、国民の感染した可能性のある人達に対して、病院をたらい回しにして検査を受けさせない。本当は韓国のように感染の疑いがある人達をすべて検査しなければならないのである。これは暗に各国政府がほとんどすべての国民がサイレンサー患者として感染している事を認めているようなものだ。すなわちすべての国民を検査したら、医療機関はそれに対応できず、医療崩壊する事を既に承知の上なのだ。日本政府はアメリカ政府のいいなりでアメリカ政府の犬だから、何を決定するにもアメリカ政府にお伺いを立てなければならない。私はこの新型コロナウイルスは中国の言う通り、アメリカ政府のトップが中国にばら撒いたと思っているから、アメリカの自国民が10万人以上もの感染者になる事を全く予想していなかったか、逆に、アメリカ合衆国の国民も感染させるのが目的であったのかと勘ぐってしまう。ここでアメリカ政府のトップというのは、アメリカ大統領のことではない。アメリカの本当のトップ中のトップはアメリカ大統領よりもはるかに上である。公には決して出てこない本当の闇のトップが公のトップであるトランプ大統領を操り人形(マリオネット)として操っているに過ぎない。本当のアメリカの支配者は、もっと宗教的な組織であり、悪魔崇拝主義者達であり、白人至上主義者達であり、クークラックスクラン(kkk)に属する者達なのである。トランプ大統領は彼らの命令にただ従っている犬に過ぎない。これはおそらく、世界の人類の人口を減らす目的でアメリカの闇のトップが指示したに違いない。彼らは悪魔サタンの手下だから、人類の人口を半分以下に減らす事もなんとも思っていない。彼らは悪魔のように非情であり、冷酷なのだ。しかし悪魔サタンは唯一まことの神エホバには全く敵わない。まさに聖書にこう書かれてある。旧約聖書、イザヤ書11章1節から5節。[そして、エッサイの切り株から必ず小枝が出る。その根から出る新芽はよく実を結ぶであろう。そして彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と理解の霊、計り事と力強さの霊、知識とエホバへの恐れの霊である。エホバへの恐れに彼の楽しみがあるであろう。そして、彼は目で見る単なる外見によって裁くのでも、ただ耳で聞くことにしたがって戒めるのでもない。そして立場の低い者たちを必ず義をもって裁き、地の柔和な者たちのために必ず廉直さをもって戒めを与える。また、必ずその口のむち棒をもって地を打ち、その唇の霊をもって邪悪な者を死に至らせるであろう。そして義は必ずその腰間(ようかん)の帯となり、忠実はその腰の帯となる。]そう、邪悪な者、すなわちこの世の闇の支配者達をその口のむち棒でもって死に至らせるのである。またこうも書かれてある。新約聖書、ヨハネの黙示録19章11節から16節。[また、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬がいた。そして、それに乗っている者は忠実また真実ととなえられ、その者は義をもって裁き、また戦う。彼の目は火の炎であり、頭には多くの王冠がある。彼には記された名があるが、彼自身のほかはだれもそれを知らない。そして、彼は血の振りかかった外衣で身を装っており、そのとなえられる名は神の言葉である。また、天にある軍勢が白い馬に乗って彼の後に従っていたが、彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。そして、彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって邪悪な者を討つためである。また彼は、鉄の杖で彼らを牧する。また、全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む。そして彼の外衣に、実に股のところに、王の王また主の主と書かれた名がある。]そうである、間もなく王の王また主の主であるエホバ神が、ソドムとゴモラを天から降る火によって滅ぼしたように、現体制の邪悪な支配者達を火によって焼き尽くすのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

精神のコペルニクス的転回

自分の目に自分を良しとする者は、自分の奴隷となっている。よって、その人達は自ら作り出した私的な悩みや強迫観念に捕らわれる。なぜなら自分がこの世界の中心であるという、未だに中世ヨーロッパの天動説にこだわっているからである。真実は天動説ではなく、地動説であったわけであり、自分など世界の中心ではなく、たくさんある中の1つの要素に過ぎないのである。この自分中心の考え方を捨てない限り、あなたのその悩みや強迫観念も消える事はない。自分という存在はこの巨大で広く、多様性に富んだ世界から比べれば、なんとちっちゃい存在なのであろうか、と本当に気付いた時に、あなたは、あなた自身からの奴隷から解放され、自由の身となるのである。そうすれば、自分の私的な悩みや強迫観念は消え去るのである。我々は今一度、精神のコペルニクス的転回に立ち返らなければならないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

新型コロナウイルスは世界恐慌を引き起こすか。

新型コロナウイルスの影響で経済が滞り、会社の倒産や仕事を解雇された失業者が相次いでいる。しかし、これは通貨危機による経済危機では無く、あくまでも新型コロナウイルスによる災害危機であり、人為的な不信感による世界恐慌には至らないと考える。なぜなら世界恐慌とは、貨幣価値の暴落によるハイパーインフレーションの事であり、そうなると、当然、金の価格が高騰するはずだからである。しかし、今回の新型コロナウイルスの災害危機においては、金の価格が高騰していない。むしろ、金の価格は下降している。これは貨幣の価値がなくなってはいない証拠である。むしろ、投資家は皆、金を買うより、ドルを買う動きに出ている。すなわち今回の新型コロナウイルス危機は自然災害に匹敵するものであり、人々の間の不信感から起きた危機では無いので、国々がデフォルトしたわけでは決してないからである。ただ、新型コロナウイルスがいつ収束するか、予想出来ないため、その不安感が企業の間に雇用の喪失を生んでいるのである。すなわち、世界恐慌とはあくまでも人災であるのに対し、今回の新型コロナウイルス危機は人災ではないから、同じ経済縮小でも、同じ意味で判断するべきではないのである。よって、人々は外には出れなくても、インターネット販売や生活必需品の購入はお金があるうちは消費してくれるから、お金が回らないわけではないのである。しかし、人々の雇用が失われているから、会社も利益を上げられず、社員に給料を支払う事が難しくなっている。よって、企業は今まで蓄えておいた内部留保を取り崩して社員の給料に充てる事に努力してもらいたい。また各国政府も、一律に国民に一二ヶ月は持ちこたえられるほどの現金を支給し、一人当たり30万円ほどの出費の予算を組まなければならない。すなわち仕事ができない間、給与の保証はなんとしてでも守らなければならないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

時間論

正しくなるためには、最初は悪くなければならない。仲良くなるためには、最初は喧嘩していなければならない。愛するためには、最初に憎んでいなければならない。生かすためには、最初に殺さなければならない。完璧であるためには、最初は不完全でなければならない。正しさが存在するためには、最初に悪が存在しなければならない。すなわち、結果が先にあり、その原因が後にあるという事である。これを因果律の崩壊と言う。すなわち、過去は未来の後にあるのである。また、未来は過去の過去にあるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

暗号論

新しい暗号を考えよう。例えば、i_ の後には何が入るか。それは n か t だろう。すなわち、in か it なわけである。では a_d には何が入るか。それはn か i だろう。すなわち、and か aid なわけである。それでは、_enter には何が入るか。それはc だろう。すなわち、center なわけである。それでは、pr_sent には何が入るか。それは e だろう。すなわち、present なわけである。それでは今までの空欄を全部列挙してみよう。i_, a_d, _enter, pr_sent の以上である。この空欄に先ほどの示したアルファベットを入れてみる。まず、tnce とtice と nnce とnice である。このように確率論的にすべての組み合わせをまず書き出してみる。すると、意味がある単語は tice とnice だけなのである。ticeはクリケットの相手が狙ってくるボールを意図的に打つことであり、nice は良いとか、立派な、とか楽しい、という意味である。ここで条件を1つ入れて、good に近いという条件を満たすものが正解とする。すると、正解は nice なのである。このように空欄を埋めていって、意味が通じる言葉を作る事で暗号化するのである。これを空欄暗号と呼ぼう。

新型コロナウイルスの抗体

あなたはあなた自身である。あなたがあなたに分裂する事はない。すなわちあなたの抗体はあなたが持っているのである。それで、新型コロナウイルスは新型コロナウイルスであり、新型コロナウイルスは新型コロナウイルスに分裂する事はない。すなわち、新型コロナウイルスは新型コロナウイルスにかからないのである。よって、新型コロナウイルスの抗体は新型コロナウイルス自体が持っているのである。よって、新型コロナウイルスの抗体ワクチンを作るには、新型コロナウイルスが持っている抗体を取り出せばよいのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

あなた方は常に笑顔で振る舞うようにしなさい。なぜなら、笑顔はすべて、自分の思い上がり、尊大さ、利己心、高慢さ、傲慢、不満、頑なな傾向、を消してくれるものだからである。そう、常に笑顔で振る舞う人は、真に謙遜でへり下った者だからである。

2.宇宙の初まりは、どのようにして起こったのだろうか、という探求は、我々は将来どうなるのだろうかという探求と同一である。よって答えは決してわからないのである。

3.自分達の限界というものを気付かされた時、すべてのものが初めて見えてくるであろう。

高田義裕の人生論

今日の格言

どんなに正しいことも集団と化すと害悪を生じさせる。

どんなに正しいこともそれを個人レベルに留めておけば、何の問題もないのであるが、人々はどうしても正しい事は他の人々にも知って欲しいと思うものだ。例えば、キリスト教においても、個人レベルで聖書を読み、聖書の聖句を正しく適用し、自分に当てはめて生活する分には、何の問題もない。しかし、ある時、カリスマ的宗教指導者が現れて、自分の考えなり、価値観を自分だけに適用するに留まらず、他の多くの人々にもそれを感化させようとする。そして、それに賛同した人々は次第に数が増え、1つの大きな集団と化す。すなわち、組織化するのである。すると、そこにはどうしても集団を1つにまとめる為の規定なり、規則が必要となる。それが問題なのである。人間1人1人は顔が全く違うように、考え方や価値観は全く異なる。それを無理矢理、1つの宗教教理という規定や規則で人々を縛ってしまうのである。すなわち、突然、大勢の人が規律正しく整理され、まるで軍隊のようになるのである。当然、その宗教団体以外の人々はものすごい威圧感を受けるのである。人間個人なら、どんな価値観を持っていても、他の人々はその人に威圧感は感じないのである。多少、変わった人だ、と変人扱いされてそれでおしまいなのであるが、これが集団と化すと、人々はその集団を脅威に感じて、警戒するようになるのである。そう、すなわち、その宗教組織の信者とそうでない人々の間に軋轢や争いが生じてしまうのである。例えば、アメリカにエホバの証人というキリスト教組織がある。彼らは自他共に認めるクリスチャンでは無く、あくまでも自称クリスチャンである。世界中に多くのクリスチャン組織はいっぱいあるが、その人達は自分達が唯一の真のクリスチャンだと自負している。確かに彼らの行っている事はきちんと聖書を読み、それを正しく解釈し、自分の生活に聖書の教えを適用しようとする誠実な態度が見受けられる。そこまでは良いのだが、彼らは他の人々にその宗教教理をできるだけ広めようとしている。そう、彼らの理想は全世界のすべての人々が自分達のようなクリスチャンになる事なのである。ここが問題なのである。この多様性に満ちた世界にいろいろな価値観や考え方があっていいのに、すべての人々が聖書を読み、それを正しく適用して生きるべきだと言い張るのである。そんな事は現実としては遥かに難しい事であろう。リンゴやみかんやオレンジやパインやスイカやメロンとか果物にはいっぱい別々の種類の果物があって当然なのに、彼らはすべての果物はレモンにならなければならないと言っているのに等しいのである。これは多様性を愛する神エホバの考えと一致しない。すべての人間が神エホバに従う事など出来ないのである。神に従う人もいれば、神に従わない人もいて当然なのである。また、彼らの宗教信条には、国家斉唱をしないというものがある。多分彼らは、その組織の発生時期が、ちょうど、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時期に当たるので、国家主義、すなわち国粋主義(ナショナリズム)の悪影響をモロに受けた結果、国家斉唱をしないという価値観が生まれたのであろう。なぜなら聖書には国家斉唱をしてはいけない、とは何処にも書かれていないからである。確かに極端な愛国主義は偶像崇拝であるが、国民が普通に感じている愛国心というものは、決して間違ってはいない。なぜならすべての国民は自分達の国があるお陰で普通に生活できるからである。もし、国家という傘下の中にいなかったら、人々は難民となって行き場を失うのである。この耐え難い苦しみはイスラエルのユダヤ人達が一番よく理解している。例えば、あなたがAアパートに住んでいるとすると、あなたは年数が経つうちに、自分の住むAアパートという部屋に愛着を持つのは至極、当然な事なのである。これがA国だとしたら、自分の住むA国に愛着を持つのは決して間違っていないのである。しかし、もしA国、すなわちAアパートの大家がBアパート、すなわちB国に戦争をしかけて彼らを殺して来い、というなら、それは全く別問題である。そう、国の為に命を捨てよ、もしくは他の国の人々を殺せ、というのは全くの間違いであり、それは極端な愛国心であり、それはナショナリズム(国粋主義)という狂気であり、偶像崇拝なのである。なぜなら聖書には人を殺してはならないと書いてあるからである。どんな理由も人を殺す正当な根拠とはなり得ないのである。よって、たとえどんなに正しい事でも個人レベルでは無く、集団レベルで行うと、人々は戦争を引き起こしてしまうのである。いや、たとえ戦争を起こさなくても、日常生活での人々の間に軋轢や争いなどの問題が生じ、お互いが苦しい思いをする事になるのである。よって正しさとは集団化してはならないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人はなぜ苦しむか。それは自分のために苦しむから苦痛なのである。人は自分の欲望を遂げようと奮闘するのであり、それが人を苦しめる。よって、もはや人は自分自身のために生きる事をやめ、他の人の益のために生きるべきなのである。なぜなら人の益のために苦しむ事は苦痛ではないからである。むしろ、人の益のために奮闘するとき、人は歓びを感じるものなのであり、自分が他の人の役に立っていると認識するとき、人は苦しみよりも、歓びを感じるものなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神エホバの奴隷である、高田義裕から世界中に散らばる真のクリスチャン達へ。親愛なる兄弟姉妹達、私達は数年前までは勝手気ままに自分達の行きたい場所に自由に行動していました。しかし、今年2020年から状況は一変しました。まさに暴風雨がすぐそこまでやって来たのです。我々はもはや自分の自力では命を守れません。そうです、自分の信仰だけではもはや救われないのです。これは父親の手を握って歩く幼児の様です。今までは父の手に手を添えるだけで安心でしたが、突然目の前に竜巻が発生しました。もはや父の手をしっかり握りしめなければ、私達は皆、竜巻に飛ばされてしまいます。しかし、それでも不十分です。私達には、父の手をしっかり握りしめ続ける力(信仰)がないからです。よって、私達は今すぐ父なる神エホバと私達との間に鋼鉄で出来た命綱を体に巻きつけねばなりません。そうすれば、決して父エホバから引き離される事はありません。そうして今、父の体と自分の体にしっかりと命綱を結んだのですから、もはや私達は父を離れて、自分の好きな所に行く事は出来ません。今年から発生したコロナウイルス伝染病から教訓を得なさい。コロナウイルスがやって来る前は、私達は勝手気ままに自分達の行きたい所に自由に行動していました。しかし、コロナウイルス伝染病が到来した今、私達は皆家の中に入り、外に出てはなりません。もし、そうすれば、私達はコロナウイルス伝染病にかかってしまいます。もはや私達は比喩的な意味での家の中というエホバ神の保護のもとにとどまらなければなりません。このコロナウイルス伝染病を契機に、すぐ目の前に暴風雨という大患難が待ち受けています。これらは皆、私達の信仰を試す悪魔サタンからの試練なのです。もはや気ままに行動するべき時期は過ぎたのです。これから人類には試練を乗り越えても、さらなる試練が海の波の様に繰り返し私達を襲うでしょう。このコロナウイルス伝染病はその始まりの最初の部分に過ぎないのです。よって、今は平常時では無く、まさに緊急事態なのですから、我々は自由に行動出来ません。もし、それでも敢えて自由に行動したいなら、あなた方はすべて暴風雨にさらわれるでしょう。そうならない為に、贅沢という自由を犠牲にしても、私達の天の父エホバと密接に繋がっていなさい。そうすれば救われます。あなた方のすべてにエホバ神からの祝福と保護が引き続きとどまりますように、アーメン。