高田義裕の人生論

今日の格言

エホバの日

旧約聖書ゼパニヤ書1章14節、エホバの大いなる日は近い。それは近い。しかも非常に急いでやって来る。エホバの日の響きは悲痛である。そこでは、力ある者も叫び声を上げる。その日は憤怒の日、苦難と苦悶の日、嵐と荒廃の日、闇と陰鬱の日、雲と濃い暗闇の日、角笛と警報の日である。

[解説]なぜ聖書の預言にあるエホバの日は非常に急いでやって来ると言えるのか?それは、神エホバは天地創造を7日間で終わらせたのであるが、神にとっての1日は、人間にとって1000年間を意味する。今は終わりの日であり、ハルマゲドンの日なのである。悪魔サタンは神の人類に対する支配主権の正統性に異議を唱えた。それで、神は悪魔サタンであるルシファーに全人類を一時的に支配してみる権威を与えた。本来なら、神の人類に対する支配主権の正統性が立証されるまで、およそ6万年かけることもできた。しかし神は今人類の歴史6千年の終わりまでに悪魔サタンの人類に対する支配を短くされた。すなわち60000÷6000=10である。これは例えれば、一時間は60分であるが、その十分の1である6分で来られたことになる。救急車は呼べば、一時間もかからないのではないか?私達の経験では遅くとも、5、6分で来るはずである。そうである、エホバは救急車の様にすぐに来るのである。次の聖句に注目せよ。旧約聖書ハバクク書2章3節、この幻はなお定めの時のためであり、終わりに向かって、息をはずませてゆくからである。それは偽ることはない。たとえ遅れているように思えても、それを待ち続けよ。それは必ず起きるからである。遅くなるこれはない。それで、第一の災いである疫病が過ぎ去った後、その次に来るものは全世界規模での食糧不足であり、飢饉である。全人類よ、自らの救いのために天と地を創造された方、唯一、まことの神エホバを崇拝せよ。

高田義裕の人生論

今日の格言

どうあるべきかをわきまえ知っている事と、どんな事も不可能ではない事は互いに同値な事である。すなわち、我々人間がどんな事も可能にできないのは、我々自身が我々自身に対してどうあるべきかを知らないからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

数学の厳密性に対する懐疑性

A=Aという等式は誰もが疑う余地のない自明な事柄であると思われる。しかし、よく考えて見ると、この現実世界に1つとして同じものはないことにも気付かされる。すなわち、工場で作られる全く同じ製品であっても、それはA=Aとはならないのである。なぜなら、同じ製品でも、作られた時間が違うし、作られた製品は同じ場所には置けず、隣に置くしかない点でその位置も違うからである。しかし、論理学の世界では、敢えてそれらの細かい相違は考えないことにして、A=Aは成り立つことを前提として論議を積み上げていくのである。これこそが、論理学の限界であり、数学という厳密性の限界であると言える。なぜなら、論理の世界は、敢えて現実世界の曖昧模糊とした事情は割愛し、あくまでも単純で純粋な仮想空間を設定して成り立つことで威力を発揮するものだからである。例えば、精密機器の製造する場所は、埃や塵の全くない特別なクリーンルームで作られる。しかし、現実の空間は埃や塵で満ちている。よって、数学の厳密性とは、あくまでも埃や塵という現実にある曖昧さを扱わない点において、現実世界を正しく表現することはできないのである。すなわち、皮肉なことに、数学の厳密性はその厳密性を重視し過ぎるゆえに、本当の現実世界を厳密に説明し、解明することができないのである。これこそが論理学の利便性の良さであると同時に論理学の限界でもあるのである。