高田義裕の人生論

今日の格言

政治学

もし、人間が一人しかいなければ、政治など必要ないであろう。その人が好き勝手に生きても誰も文句は言わない。しかし、男と女がいる以上、子供はどんどん生まれてくるし、それにより、人間は現在の80億人近い、という膨大な集団となった。人間が二人以上いると、そこにはどうしても個性の差、すなわち、考え方の傾向の違い、価値観の違い、という軋轢が生じる。そして、遂には、互いの意見がぶつかり合い、争いが生じる。そう、それは戦争である。よって、人間という種族は戦争することから逃れられない。それは多分に人間という属性ゆえの避けて通れない宿命である。そこで、人間は互いに共存して行かざるを得ない。共存するという事は、互いの欲求を満たす事をある程度、我慢せねばならないことである。すなわち、互いに譲歩できるギリギリのライン、すなわち、停戦ラインである。それが現在の法律であったり、社会的ルールに相当するわけである。すなわち、この論法で言えば、人間にとっての自由とは、なるべく決まり事が多くない方がより、自由なのである。よって、政治的権力が強いほど、民衆の自由は束縛され、政治的権力が弱いほど、民衆はより自由に行動できるわけである。しかし、これは本当に正しいのであろうか?最近の政治の動向として、独裁権力主義の国々より、民主主義国家の内部分裂、弱体化、国力の低下が著しい。民主主義システムの根幹である選挙制度自体が崩れて来ている。すなわち、どの政党にも投票しない国民層の増加が目立ち、たとえ投票しても、意見は分断し、二極層に分かれる。これは民意が全く反映されていない事の確かな証拠であり、現実である。そう、言論の自由がある国の方が、言論の自由がない国よりも弱体化し、存亡の危機に陥っているのである。これは新型コロナウィルスという伝染病の蔓延に多くの影響を与えた。中国などの一党独裁の国家は、新型コロナウィルスの蔓延をその強力な権力によって、いち早く沈静化できた。それに対し、民主主義国家は即座な対応ができず、対処が遅れ、新型コロナウィルスの広範囲な蔓延を著しく許してしまった。なんと皮肉な事であろう。言論の自由は絶対的に正しいものではなかったのだ。むしろ、言論の自由は、情報過多な混乱を生み、緊急時に全く対応できない弱点を露呈してしまったのである。よって、人類にとって、究極であり、最後の砦であった民主主義思想も、決して万全な政治システムではなかった事が判明したわけである。むしろ、民主主義国家はいろんな価値観や思想が混在するのを許容する分だけ混乱し、まとまれ無くなり、人間社会としての明確な指標を見失ってしまうのである。つまり、過去において、民主主義国家であったドイツが戦後、強力なカリスマ的指導者ヒトラ-を産んでしまったのと同様に、現在の民主主義国家であるアメリカや日本も国民の民意に機敏に察知し、明確な指標を示してくれる、強力でカリスマ的指導者という危険な独裁者を無意識に求めるようになったとしても、少しもおかしくはないのである。よって、これからの新しくて正しい政治の在り方は、民主主義国家のような柔軟性と、独裁政権国家のような機敏性を同時に併せ持ったハイブリッド国家の建築を目指さなければならないのである。