高田義裕の人生論

今日の格言

日本の国民よ、早く逃げよ。とてつもない大きな地震がまもなく来る。フィリピンプレートがやばい。南海トラフ大地震である。東京にいる者は早く首都から脱出せよ。あまりにも東京に人と富とが集中し過ぎた。大自然は倫理の法則に従って、このアンバランスを元に戻そうと振り子のように動くから、地震が起きるのである。日本の東日本は沈没し、東京の代わりに大阪が代理の首都となる。最近の日本周辺の小規模地震は南海トラフ大地震の予兆であり、人々に避難を促す警告である。今月の3月中までにそれは起きる。人々よ、今すぐ逃げよ。どうしてあなた達が死んで良いだろうか。

高田義裕の人生論

今日の格言

無神論者達に対して。

無神論者は神など存在しないと言う。これは実は甚だ本末転倒な主張なのである。これを例えで考えてみよう。まず私が芸能人だとする。私はある芸能プロダクションの会社に雇われている。すなわち、芸能プロダクションの会社から仕事を貰って、芸能活動を行っているのだ。私はあるテレビ番組の司会者を任された。それで、テレビの前の視聴者に面白おかしく世の中の情勢を自由に自分の意見を話して、視聴者から人気が出た。ある時、事件が起きた。なんと私の所属する芸能プロダクションの会社が不正を行い、人々から非難を受けたのである。当然、私のテレビ番組もその事件を扱うことになった。私は視聴者から人気があったため、つい調子に乗って自分の会社を非難した。ここがおかしいのである。私は自分の会社のお陰でテレビ番組の司会者になれたのに、その立場を利用して自分の会社のことを悪く言ったのである。本来なら、自分のテレビ番組で自分の会社を非難することは、自分の立場上、言える権限はなく、それに対しては、沈黙すべきだったのである。もし、その芸能プロダクションの会社を非難したければ、その芸能プロダクションの会社から貰ったテレビ番組の司会者を辞めて、新たに自分の自力で芸能プロダクションの会社を立ち上げ、自分の力でテレビ番組の司会者になって初めて非難する権限を持つのである。これと同じで、神は存在しないという主張も、あくまで神が存在するお陰で初めて言えることであり、神は存在しないという主張も神が存在することに依存しているのである。よって、我々には最初から神は存在しないなどと主張する権限はないのである。もし、正当に神が存在しないことを主張したければ、神から貰ったこの命を一旦捨て、自分の自力で命を誕生させ、まったく神からの恩恵を受けずに、独立した存在になって、初めて、神は存在しないということを主張する権限を持つのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

肉と霊の違い

肉的とは何か?それは欲望を満たすことである。それに対し、霊的とは何か?それは欲望を満たさないことである。例えば、肉は飢えれば食し、渇けば飲むことを要求するのである。肉的な人間は、自分の飽くことなき欲望を遂げようと必死になる。そこには常に争いが生じ、争いは軋轢を生み出し、軋轢は人の心を欲求不満にならせ、人は心身を病み、終始、苦しむことになる。しかし、霊的な人は違う。人は皆、失って、初めて、それが自分にとって必要不可欠なものであることに気付く。ある人々は今まで家族が一緒にいることは当たり前のことと思っていた。しかし、ある日、突然、災難に遭って家族すべてを失い、自分1人だけが生き延びた。彼は嘆き悲しみ、自分の哀れな境遇を呪った。そして、生きている限り、彼は自分にとってかけがえのない家族のことを思い浮かべながら、孤独を生き抜いた。そうである、人はもはや二度と手に入れることのできないことによって、それを実際に手に入れている人達よりも、それを永遠に愛することができる。あこがれこそ、人を富ませ、人格を形成し、そこには深い孤独感とともに自分にしかわからない心地よい自分の世界の境地を生み出す。これこそ、霊的な世界なのである。よって、すべてのものを手に入れるためには、今一度、すべてのものを失う必要があるのである。人は失うことによって初めて成長するからである。あなたには最愛の異性がいたか?もし、あなたが異性を何らかの形で失っても、それによって、失う以前よりも相手のことを愛することができる。もし、失わずにずっと二人でいたら、互いの存在の有り難さに気が付かず、むしろ、些細なことで喧嘩して離婚していたかもしれない。なぜなら、肉の思うことは一時的であるが、霊の思うことは永遠だからである。よって、すべてのものを手に入れることのできる者とは誰か?それは神である。なぜなら、神は肉ではなく、霊的存在だからである。まさに聖書にこう書かれてある。新約聖書、ヨハネによる書、4章23と24節。[とはいえ、真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際、父は、ご自分をそのように崇拝する者達を求めておられるのです。神は霊であられるので、神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません。]よって、大切な人を失った者達よ、あなたの頭をまっすぐ上にあげなさい。なぜなら、失ったことがない人よりも、失ったことによる悲しみを他の人と分かち合える人の方が幸福だからである。なぜなら、その人はもはや肉的ではなく、霊的な人だからである。神は傲慢な者達に敵対し、謙遜でへりくだった者達に過分のご親切をお与えになるからである。