高田義裕の人生論

今日の格言

すべての人間は優しくて、思いやりのある人間であるべきか?

ほとんどすべての人は、相手の人間の性格に対して、優しくて、思いやりのある態度を望んでいる。では、人間にとって、優しいとか、思いやりがあることが絶対的に正しい根拠はどこにあるのだろう。例えば、世界中から非常に優秀で頭のいい人達を集めたとする。そして、その集団だけで1つの社会を構成し、一緒に暮らすことにする。すると、本来、その人達はすべて非常に優秀なので、物事も、一番優秀で、効率の良い理想的社会が実現しそうなものである。だが、現実は決してそんなことにはならない。なぜなら、非常に優秀な集団の中でさらに秀でて優秀な者が出てくるからであり、そこから、さらに差が生じてしまうからである。よって、あらゆるすべての人間に当てはまる頭の良さの絶対的基準があるわけでは決してないからである。ただ、あるとするなら、AさんはBさんより優秀であるとか、CさんはDさんより、機転が利くとか、Eさんの方がFさんより優しいとかの相対的な印象でしかないのである。そう、優しさとか、思いやりという概念は、存在の確かさなどではなく、もっと曖昧模糊とした印象という度合い、もしくは、濃度の違いに過ぎないのであって、決して普遍的価値、もしくは真理ではないということである。すなわち、非常に頭のいい集団の中から、さらに頭のいい人間が選別されていくように、それ以外の他の頭のいい人は、その人より、愚かであると言えるからである。よって、結論として、何が優しくて、何が思いやりがあるか、などという命題は真ではなく、偽である。言い換えれば、それらの定義はあくまでも、大小の差、濃度の差に過ぎないのであって、その初めから、すべての人間は優しくて、思いやりのある人間になるべきである、という命題自体が成立し得ないのである。そう、その問いかけ自体が最初から間違っているのである。