高田義裕の人生論
日本の政府は1000兆円もの借金を抱えている。これはいつ、日本国家が破綻してもおかしくはない。誰もがそう言い続けてきた。本当のところはどうなのだろう。この日本国家破綻論は、個人レベルで考えれば、当然すぐにでもそうなるだろう。しかし、ここで考えなければならないのは、この問題を個人レベルというミクロの視点からではなく、あくまでも、マクロの視点で捉えなければならないことである。例えば、あるケーキ屋さんがあるとしよう。ケーキは毎日売れるものではない。売れる日もあれば、売れない日もあるだろう。しかし、立場をマクロの視点に切り替え、地球の全世界のケーキ屋を対象とすると、必ずケーキはどこかで売れていることになる。すなわち、1年を通じて、ある一定量の数が売れていることになる。また、自動車事故も個人レベルで見れば、ほとんど起こらないのに対し、これをマクロの視点で見れば、地球の全世界規模を対象とすると、交通事故は、必ずどこかで起きているから、これも1年を通じて、ある一定数の交通事故が平均化されてくる。要するに、ミクロの視点とマクロの視点とでは事情が少し異なる。すなわち、個人が多額の借金を抱えている状態と、膨大な数の国民で成り立っている国家が多額の借金を抱えている状態とでは事情もその考え方も異なるということである。すなわち、マクロ的レベルをミクロ的視点で判断しても、それは間違った見方をしてしまうということである。よって、個人的レベルで多額の借金を抱えている場合は、必ずすぐに破綻しても、国家的レベルで多額の借金があっても、必ずしもすぐには破綻するとは限らないということである。