高田義裕の人生論

今日の格言

政治学

愚かな政治家がたくさんいて、意見がまとまらない民主制よりも、知恵のある聡明な、わずかな人達の専制政治の方が勝る。

神学序説

神を信じない人達は、皆、一様にこう言う。神がいるのなら、なぜ、神はこの世の苦しみを許しておられるのか、と。しかし、逆に、苦しみ自体はこの世の存続に依存している。そして、この世自体を存続させてくださっているのは、神なのである。よって、苦しみを生み出しているのは、神のせいではなく、苦しみを生み出しているのは、人間なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

私達がどれだけ神エホバを愛していると言ったところで、実際本当に神エホバを愛しているかどうかは定かではない。それは常に自己満足の域を出ない。しかし、エホバ神に感謝する事は、それがたとえ、どんなに僅かな事であっても、感謝をしている事には変わりはないのである。これはまるで、1人のある若い娘が、階段を降りようとしている老人を、傍で支えながら降りるのを手伝っているようなものである。すなわち、心は見えないが、思いやりは見えるのである。よって、私達は常に神エホバに感謝し、そして神エホバを本当に愛する事が出来るように常に神に懇願し、祈り続けるべきである。

高田義裕の人生論

今日の格言

新確率論

単純な事は起こりやすく、複雑すぎる事は起こりにくい。この世の中の現象は単純ではなく、複雑であるが、複雑すぎる事はない。また、熱力学第三の法則により、物事は放っておくと、単純な方向に向かおうとする。なぜなら、単純な方が楽だからである。物事は複雑であればあるほど、膨大なエネルギー(生命力)を必要とするからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

真理方程式

病気になるという事は、裏を返せば、正常な状態というものが存在し、あらかじめ、定められている事を示している。その具体的数値はわからないから、正常な状態をXと置く。よって、病気の状態は、-Xと表される。よって、その差は、X-(-X)となる。よって、2Xとなる。病気とは、異常な状態と定義できるから、異常をYと置く。ここで、真理方程式 Ω (αα/2α) より、XとYを代入して、Y(XX/2X)となる。Y=-Xだから、-X(XX/2X)となる。

高田義裕の人生論

今日の格言

数学(集合論) 3

すべての集合は、自分より小さい集合を内包している。よって、すべての集合は全体集合である。よって、もはや、それ以上自分より小さい集合を含んでいない集合は存在しない。ここで、仮に、自分が最小で自分より小さい集合を含んでいない集合が存在すると考える。それをPとしよう。よって、すべての集合は任意の集合をxとすると、(x-P)+P=xとなる。

高田義裕の人生論

今日の格言

数学(集合論) 2

すべてのものが含まれるとき、すべてのものが含まれるという事も含まれる。よって、すべての事は含まれる。また、すべてのものが含まれないとき、すべてのものが含まれない事も含まれない。よって、すべてのものは含まれる。

公理 1. すべてのものは含まれる。これを全集合と呼ぼう。

公理 2. すべてのものは含まれない事は存在しない。これをR条件としよう。よって、R条件は存在する。よって、(存在する)=Rである。ここで全集合をQとしよう。Qは存在するから、R=Qである。

高田義裕の人生論

今日の格言

数学(集合論)

どんなに大きい集合でも、すべての集合は、それよりさらに大きい集合の部分集合である。よって、それ以上大きいものがない絶対的な全体集合というものは存在しない。しかし、仮にそれが存在すると仮定して、全体集合をXと呼ぼう。すると、すべての集合はXの部分集合である。すなわち、任意の集合aにおいて、すべての集合aは、X-(X-a)=aと表される。よって、移項して、X=a+(X-a)である。よって、a=Xのとき、X-(X-a)=a+(X-a)である。

高田義裕の人生論

今日の格言

貨幣論

貨幣というものに存在価値を与えているのは分業である。もしすべての事を全部1人でできるなら、貨幣など必要ない。また、必需品以上に贅沢なものが欲しいという、人間の物欲を煽り立て、無駄なものを買わすという事によっても、貨幣に存在価値を与えている。よって、もし人が生活していく上で必要最低限なもので満足すれば、貨幣の存在価値はなくなる。よって、すべての事を全部1人でする事と、生活必需品だけで満足する事は互いに等しい。すなわち、すべての人間が自給自足の生活をすれば、貨幣という存在はその意義を失うのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

ある人がレンタカーに毎日乗っているとする。ここで自己所有の車は毎日乗るものである。よって、レンタカーに毎日乗ることは、その車を所有している事に等しいとみなす事が出来る。このように、互いに反対の関係にあるものを、同一のものとみなせるように操作する事を[自己同一性の法則]と言う。例えば、2人は結婚していなくても、毎日一緒に住んで、同棲していたら、結婚とは、毎日の生活を一緒に過ごす事だから、2人は結婚していなくても、結婚しているとみなす事が出来る。

高田義裕の人生論

今日の格言

哲学と宗教の違い

宗教はわかりやすいが、客観的でない。非常に主観的である。哲学は客観的だが、わかりにくい。非常に抽象的である。すなわち、分かりやすさを優先すると正確ではなくなる。しかし、正確さを優先すると、その分、具体性を失い、明確でなくなるのである。

運命論

運命論を否定する人達は、運命とは決まっていない、運命とは自分で切り開くものだ、と言うが、実はそうではない。なぜなら、運命論に従えば、運命とは決まっていない、という事すら決まっているからである。

人生論

なぜ、私達は生きるのか。それは私達が私達自身になるために生きるのである。よって、私達は永久に私達自身になる事は出来ない。よって我々は永久に我々自身になる事を追求していく事が出来る。すなわち、永遠の命である。自殺する人は、この永久の課題を認識する事が出来なかった人達なのである。