高田義裕の人生論

今日の格言

新貨幣論

西暦2020年2月8日現在、世界の経済情勢はますます悪化している。特に顕著なのは、貨幣の流動性が滞っている事である。すなわち、人類は何か世界を一変させるような劇的な発明なり、発見をしていない。社会体制をも激変させるような、今までの常識では考えられない第4次産業革命でも起きない限り、この貨幣という水の流れの大河はいずれ干上がってしまう。すなわちお金を投資出来るような新たな分野の発展が見られないのである。人々は経済状態の不安のために、お金を使おうとせず、貯蓄に走る。また企業も先行きが不透明だから、新たな投資を控えて、お金を使わず、将来の危機に備えてお金を貯めこむ。すなわち内部留保だけが増え続ける。そうなれば、世の中にお金が回らなくなって、うっ血した血管のように血液というお金が体全体に行き渡らなくなり、徐々に体は壊死してゆく。最後には死が訪れるのである。ここで、不景気を打破するために貨幣制度を変えてみよう。すなわちみんながお金をもっと使って消費するようになるため、貨幣制度の在り方を変えてみようと思うのである。まず、二種類の貨幣を用意する。1つはこれまでと変わらない、いつまでも使える永久貨幣である。もう1つはこれまでと違った、いつまでも使えない期限切れの貨幣である。すなわち、その貨幣を使える期限を定めるのである。もしその期限が過ぎたら、もうその貨幣は紙くず同然となって使えなくなるのである。例えば、西暦2020年から、西暦2021年までの1年間だけ有効な紙幣を発行する。これをα貨幣としよう。そして、次に西暦2020年から、西暦2023年までの3年間だけ有効な紙幣を発行する。これをβ貨幣としよう。また次に西暦2020年から西暦2025年までの5年間有効な紙幣を発行する。これをγ貨幣としよう。そして、次に今まで通りの無期限の永久貨幣を発行する。ここで、人々は労働し、働いて、賃金を貰うのであるが、その時に、人々が自由にα貨幣と交換するか、β貨幣と交換するか、γ貨幣と交換するか、それとも永久貨幣と交換するか、自由に選べるようにするのである。例えば、ある人は月に30万円の収入があるとする。それは永久貨幣としての金額が30万円としよう。しかし、もし30万円をγ貨幣と交換する場合、その価値は有効期限のある紙幣だから、永久貨幣に換算すると、30万円×2=60万円貰える事にする。すなわち、5年以内に使えば、永久貨幣の2倍の60万円に相当する価値がある事になる。次にもし、30万円をβ貨幣と交換すれば、使用期限は5年よりも短く3年間なので、その代わりに、永久貨幣の3倍の価値が与えられ、30万円×3=90万円が貰える事になる。そして次にα貨幣であるが、永久貨幣の価値30万円分をα貨幣と交換するなら、その使用期限は1年間と短いので、その代わりに永久貨幣の10倍の金額が貰える事になる。すなわち、一月に30万円稼いだ人は、自分の意志で、そのまま永久貨幣として持っているか、それとも、今、家と高級車が欲しいから、価値が10倍になるα貨幣と交換して、30万円×10=300万円にし、それを1年間以内にα貨幣として貯蓄し、300万円×12ヶ月=3600万円にまで膨らまして、使用期限の一年が切れるまでにその3600万円を家と高級車の分として使い切ってしまうのである。こうすれば、人々は嫌でもお金を使おうとするし、使わなければ損をするという心理が働いて、どんどん消費するようになる。すなわち永久貨幣として貯蓄する事が一番低い金額しか貰えないような仕組みにしてしまうのである。こうすれば、人々は資産として永久貨幣を持ち続けながら、期限ありの貨幣をも使って物を消費し、豊かな生活を送る事が出来る。こうすれば自然と不景気が解消されると私は考えるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

もし、私達が今日中に終わらせなければならない仕事を完璧にこなせる力があるとするなら、スケジュール表やメモ帳はいらない。なぜなら、私達が今日中に終わらせなければならない仕事を完璧にこなせる自信がないから、わざわざメモに書いて、どうすれば今日中に仕事を終わらせられるか、計画を立てるのである。私のように文章を書く者もそうだ。私達がなんでもすべて完璧に記憶する能力があるなら、まず文章に書いて残す必要もない。自分が思った事を忘れるから、文章にするのだ。すなわち、我々にはすべてを記憶する能力が無いから、文字という媒体が必要となるのである。よって、なんでも完全にこなせるし、すべて記憶する事が出来る人間には、スケジュール表という計画も、文章という文字も無駄なものであり、愚かなものなのである。よって素晴らしい計画や、素晴らしい文章というものがあっても、それは、愚かさを高めている様なものであって、愚かさを誇っても無意味なのである。同様に賢い者には賢い事は必要では無く、愚かな者に知恵が必要なだけである。よって知恵を誇ってもそれは無意味なのである。また、正しい者には正しい事は必要では無く、悪い者に正しい事が必要なのである。よって正しさを誇っても無意味なのである。これは例えれば、車を既に持っている人には、もはや車は必要では無く、車を持っていない人に車は必要である事と同様である。よって人は知恵や正しさを誇る傾向にあるが、それは自分達が愚かな者である事を高めているに過ぎないのである。すなわち、賢さも正しさもすべて相対的価値観に過ぎないのであり、それを絶対的なものとして賞賛し、崇める様な事であってはならないのである。すなわち、ただ、絶対的存在で、賞賛し、崇めるべきなのは、唯一まことの神、エホバだけなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

 

なんでも自分の思い通りになったら、幸福であろうか。確かに最初のうちは愉快かもしれない。しかし、あなたはそうしているうち、何かが欠けていると思い始める。そうだ、自分が物凄く孤独な事に気付いたのである。なぜなら自分以外のすべてのものは自分の思い通りになる将棋の駒にしか過ぎないからである。要するに自分と対等な存在がいないから、対等に話し合える相手もいない事になる。そうして、あなたは孤独に耐えられなくなって気が狂いそうになった。そして、ふと考えると、すべてのものは自分の思い通りになる事に気付いた。そしてこう言った。私を孤独から解放せよ、と。するとすべてのものは全く元通りになり、あなたはなんでも自分の思い通りになる力を失った代わりに、すべてのものはあなたと対等な立場となって孤独から解放された。どうであろう。例え、なんでも自分の思い通りになったとしても、孤独になり、自分の孤独をどうする事も出来ないのである。結局は何も思い通りに出来ない普通の状態に戻るしかないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

なぜ、みんな離婚をするのか。

男性であるあなたはレストランに食事をしに行った。すると非常に美しいウェイトレスの女性がとびきり美しい笑顔であなたを迎えた。すると、あなたはそれを見て、一目惚れしてしまい、なんて素敵な女性なんだと思い、心の中で自分の結婚相手として理想の人だ、と思った。まさにここに大きな落とし穴がある。あなたが見たのは、彼女が仕事のために自分の全力を尽くしてあなたにとびきりの笑顔という感情労働をしてくれたのである。すなわち彼女としては普段の本当の自分の姿では無く、あえて意識して好意を持たれるように一生懸命自分を作ったのである。すなわち、あなたは彼女の結構無理をして作り笑顔をした本当の彼女では無い彼女を愛したのである。実は彼女は本当は内気で、なんとかその内気な自分を変えたいと思い、結構無理をして接客業にチャレンジしていたのである。実際に仕事が終わった後は、彼女はとてもくたびれて、自宅ではうつ状態であった。すなわち、こういう事である。人という者は誰しも、人には言えない過去や悩みを抱えている。ある人は今は明るい性格だが、昔は根暗で陰気な性格だったりする。それで子供の頃、みんなからいじめられていた。その様に、人に言えない過去があったりする。また、ある女性は大変、今は魅力的な人なのだが、昔、過去に自分の好きな男性にフラれて自殺未遂を起こしていたりする。その苦しみゆえに、心の病を抱えて、精神薬を飲んでいたりする。そうなのだ、人は恋愛をする時、相手の人の今現在の姿や見た目で判断してしまう。すなわち、相手の人間のこれまでの歩んできた紆余曲折を知らない。本当は相手は自分の悪い癖や習慣を隠してあなたと接しているかもしれないのである。それを知らないまま、結婚したりする。そして一緒に生活して見て、初めて相手の悪い癖やだらしなさを発見する。ここであなたはようやく気付く。彼(彼女)がこんな人だとは思わなかった。しまった、こんな人なら結婚するんじゃなかった、と後悔するのである。そして当然の結果として、2人は性格が合わない為に離婚するのである。人という者は、幼児からの基本的な性格というものは実は変えられない。本人はそれに十分悩み続けてきて、努力をし、成人になる頃にそれを克服したと思っているかもしれないが、実際には基本的なベースは今も引きずっているものなのである。例えば、小さい頃から内気な人は、それを悩んで、外交的な性格になろうと努力してきて、今では、社交的な人物として周りからは映っているかもしれない。しかし、本当は、完全に内気な性格を直せない自分に自信を持っていないかもしれないのである。この様に、1人の人間がどういう人間か、判断するためには、幼い頃から歩んできたその人の遍歴を辿らなければならないのである。すなわち、視野を広く持って、その人の人生全体から眺めなければ、本当のその人の日頃の行動の動機が何かわからないのである。それをせずに、今現在の一瞬のその人の全力を出して作った良く見せている部分だけを見て、その人を判断してしまうから、後でこんなはずでは無かった、と後悔する事になるのである。よって相手が自分にとって、ふさわしい相手かを見極めるためには、相手の一番、悪い点を見るべきである。そうして、相手の本当の自分を出している時を観察すべきである。もし、相手の一番気を許している時の素の部分を見て、それでもそれがあなたにとって許せる許容範囲であるならば、その人と結婚すれば良い。そうすれば、すでにあなたは結婚する前から相手の一番悪い部分を知っていてあえて結婚するのであるから、後で後悔する事も無く、離婚せずに結婚生活を続けていけるはずである。であるから、私が思うのは、お互いに好きになったのなら、いっぺん結婚せずに、一緒に住んで同棲してみると良い。そうすれば、いやでも相手の悪い性癖が見えてくるから、そこで結婚すべきか、しないべきか判断すると良い。そうすればあなたの人生において離婚という世間から見て汚点となる選択を避ける事が出来るはずである。

高田義裕の人生論

今日の格言

真のクリスチャンとしての信条

1. 信仰    (御子イエスキリストを信じ、認めること。)

2. 徳        (神の目から見て、良い事を行うこと。)

3. 知識     (あらゆる状況に適切に判断し、行動できること。)

4. 自制     (状況の許容範囲を判断し、行動すること。)

5. 忍耐     (積極的に良い事のために忍ぶこと。)

6. 敬虔な専心    (神の定められた事柄に積極的に奉仕すること。)

7. 兄弟への愛情  (思いが同じ者達に対して愛情を共有すること。)

8. 愛         (すべてのものを愛するように日々、積極的に行動すること。)

高田義裕の人生論

今日の格言

なぜ、同じ罪を犯しても、逮捕される者もいれば、逮捕されない者もいるのであろうか。日本では18歳未満の女性と性関係を持つ事は犯罪である。ヤフーのニュースでは、ほぼ毎日、性的虐待事件や18歳未満の女性と淫らな行いをしたとして男が逮捕されるという報道は後を絶たない。しかし、これは氷山の一角であり、18歳未満の女性と性関係を持っている成人男性はまだまだ沢山いるのである。警察に捕まる者も大勢いるが、まんまと警察に捕まらずにやり過ごし、淫らな行為に引き続き耽っている者も大勢いるのである。これは不公正では無いか。倫理的に言って、悪い事をした者はすべて裁かれるのが正しいはずなのに、現実はそうではない。同じ悪を行っていても、裁かれる者もいれば、裁かれなくて済んでいる者もいるのである。しかし、ここで定義すべき事は、正しさとはその人が行った当然の報いを必ず受けるという事なのである。それに対し、悪とはその人が行った当然の報いを受けないという事なのである。この世界は悪がはびこっており、悪い事をしても繁栄している者が大勢いるのである。そして正しい事を行っていても衰退している者が大勢いるのである。実はこれはすべて偶然の所産なのである。偶然たまたまその場に居合わせたばかりに、爆破テロに遭って死ぬ場合があるのであり、偶然たまたまその場にいなかったため、爆破テロに遭わなくて済んだ場合もあるのである。コインの表の表は裏であり、コインの裏の裏は表であるのと同様に、偶然の偶然は必然であり、必然の必然は偶然なのである。よって、コインを投げて、裏と表が出る確率は、2分の1である。すると表の次にまた表が出る確率は4分の1であり、また、裏の次にまた裏が出る確率も4分の1である。よって、偶然の偶然が出る確率は4分の1であり、必然の必然が出る確率も4分の1である。すなわち、必然的に報いを受ける者の確率は4分の1であり、それは25%である。また、偶然的に報いを受ける者の確率は4分の1である。それは25%である。これは言い換えれば、悪い事をして報いを受ける者の確率は4分の1であり、25%である。また、言い換えれば、悪い事をして報いを受けない者の確率は4分の1であり、25%である。すなわちここで[倫理の均等理論]が働いて、25%-25%=0であり、全体としては悪くも正しくも無いのである。これは例えで言うと、人類の総人口が70億人であるとすると、半分の35億人が悪い事をして報いを受けるのに対し、また半分の35億人が悪い事をして報いを受けないという事になる。よって35億人-35億人=0であり、人類全体としては[倫理の均等理論]が働いて、互いの数が同数である事により、倫理的にはどちらにも偏っておらず、公正であるという事になる。よって私達は悪い事をして報いを受けない者が大勢いると感じるのは物事を部分的にしか見ていないからなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

国家主義(ナショナリズム)の衰退

国家主義はもう古い。経済的に各国がこれだけ他の国に自国の工場を作っていたり、食料を他国から調達していたりして、これだけボーダーを超えて世界が複雑に関わり合っているのに、精神面では、人間はいまだに自分の国が一番である、と思っている。この精神面での国家主義を我々はそろそろ取り除かなければならない。もはや国家とは国民にとって、言語が通じるだけの意味合いしか持たなくなっている。それぞれの国の人々は互いに言葉は通じても、心は通じ合っていないのである。すなわち分裂しているのである。特に昨日のEUから脱退したイギリス国民の間にはいまだにEU残留派とEU離脱派に分裂して口論が絶えない。これではイギリスの言語は言い争うためのツールにしかなっておらず、それに対し、愛や親切は言葉が通じなくても相手には伝わるものなのである。この国家主義という時代遅れの精神論をいまだに引きずっている結果がイギリスのEU離脱という選択であり、いまだにイギリスは国家主義を捨てられず、世界の覇者を目指しているのである。この考えはもはや時代遅れであり、イギリスはEUから離脱するべきでは無かったのである。あくまでも、多少面倒でもEUの国々と連携を取り合って、協力しながら国家運営をしなければならなかったのである。今の時代、一国の力では到底生き延びていけない時代なのであり、互いに協力しながら生きていかないと、いずれは孤立国家として立ち行かなくなってしまうのである。

 

高田義裕の人生論

今日の格言

偽りの言葉と真実の言葉

1.貧しい者は言った。お金がすべてではないと。

この言葉は真実である。なぜなら彼はお金が無く、貧しい生活を強いられ、苦しんでいるにもかかわらず、お金を欲しがっていない。これこそ、人間にとってお金はすべてではない事を証明してくれる真実の言葉である。

2.お金持ちは言った。お金がすべてではないと。

この言葉は偽りであり、偽善である。なぜなら彼はお金をたくさん持って、贅沢な暮らしをし、何1つ不自由のない生活を送っている。すなわち、お金がある事による利得を享受しながら、お金がある事を否定しているからである。これには全く説得力が無い。これこそ、人間にとってお金はすべてである事を証明してくれる偽りの言葉である。

 

高田義裕の人生論

今日の格言

悪とは何か。

悪とは自意識過剰の事である。あなたは息をする時、それを意識しているか。意識していないはずである。それと同様に、あなたは彼に親切にしてあげるのだ、と意識してする事は悪なのである。すなわち、すべて無意識のうちに無心になって行う事こそ正しいのである。よって欲望が悪なのは、それが欲しいと自覚することによって意識しているからに他ならない。何事も一生懸命になって無心になりなさい。そうすれば、あなたはいずれ思いがけない時にそれを得るであろう。この自然な流れこそ大事なのである。また自分を見て、自分は美しいと意識する事が悪なのであり、あなたは全く何の意識もなく相手に親切を示す事によって、他の人がそれを密かに見ていて、あなたの事を美しいと思う事が理想なのである。すなわち、本当の愛は報いを期待しないで示す事なのである。そうすれば、密かに見ておられる神があなたの思いがけない時にそれに報いて下さるのである。よって次の真理が言える。

1.賢くなろうとして意識する者は賢くなれない。

2.幸福になりたいと意識する者は幸福になれない。

3.それを得たいと意識する者はそれを得る事は出来ない。

4.美しくなりたいと意識する者は美しくなれない。

高田義裕の人生論

今日の格言

陰謀論

悪魔サタンがエホバ神に反旗を翻した時、悪魔サタンは神の宇宙主権の正当性を疑った。それは神の全創造物に対する神の支配の仕方には不備があると指摘したのである。それで神エホバはその疑いの論争を巻き起こした悪魔サタンに全創造物を支配させる権限を一時の間、与えた。これはまさに父親が子供を育てる上で、思春期になった子供が父親の自分に対する育て方は間違っている、もしくは私の自由を奪っていると反抗した事に等しい。それで父親はどれだけ自分の子供に対する育て方を自分の口から正しいと論証しても、子供はそれで納得しない事を知っていたので、いったん自分が育てる(支配する)権限をすべて捨てて、自分の子供に好きな様に生きてみるよう自分の親としての権限を子供に与えたのである。こうして、悪魔サタンは最初の人間アダムとエバをそそのかして、自分の側に付かせ、神に対して反逆させた。そうして悪魔サタンはそれ以来、人類社会を自分の支配下に置いたのである。まさに聖書にこう書かれてある。新約聖書、ヨハネの第一の手紙5章19節、[また、私たちが神から出ており、全世界が邪悪な者(悪魔サタン)の配下にあることを知っています。]こうして悪魔サタンは一時の間、自分の好きなように自分の支配する力を人類社会の一部の人間達に与えてきた。それは人類の歴史において、世界強国として現し示されて来た。まさに旧約聖書のダニエル書にこう書かれてある。ダニエル書2章31節、ダニエルが人類史で最初の世界強国となるバビロンの王ネブカドネザルに語った言葉。[王よ、あなたは見ておられました。そして、ご覧ください、途方もなく大きな像です。その像ですが、それは大きくその輝きは一方ならぬものでした。それがあなたの前に立っていました。その有り様は恐ろしいものでした。その像は、頭は良質の金、胸と腕とは銀、腹と股とは銅、脚部は鉄、足は、一部は鉄、一部は成形した粘土でした。]この様に人類の歴史は巨大な像に例えられており、頭の金の部分はバビロニア帝国を表していた。そして二番目に銀で出来た胸と腕はギリシャ帝国を表している。そしてその次に現れたのは、三番目の世界強国、すなわち、銅で出来た腹と股の部分、メディア・ペルシャ帝国であった。そして四番目の世界強国、すなわち、脚部である鉄の部分であるローマ帝国が現れた。そうして年月が過ぎ、人類世界の終わりの最終部分、すなわち、足の一部は鉄、一部は粘土で形成された部分とは、粘土で表されている民主主義国家イギリス・アメリカ世界強国である。一部の鉄の部分は独裁体制の共産主義の国々、すなわち、ロシアや中国や北朝鮮を表している。すなわち我々の住んでいるこのハルマゲドン体制という西暦2020年の現在において世界を支配しているのは、イギリス・アメリカ世界強国なのである。悪魔サタンは今これらの帝国に自分の人類を支配する力を与えている。ここから陰謀論が始まる。まず、西暦1912年4月15日、イギリスのサウサンプトンからアメリカ合衆国のニューヨーク行きの大型客船タイタニック号が、沈没する。しかし、これは陰謀であり、タイタニック号が沈没する事は船が出港する以前から支配者達によって決められていた。これは事故ではなく、明らかな計画的人災なのである。タイタニック号を作った会社が、膨大な借金で苦しんでいた。それで、タイタニック号に巨額の保険金をかけてわざと沈没させ、それにより、保険会社から莫大な保険金を得たのである。次に時は進んで、西暦1941年12月8日、日本はアメリカ合衆国のハワイ・オアフ島にあった真珠湾(パールハーバー)を攻撃した。第二次世界大戦である。しかし、アメリカの上層部は事前に日本が真珠湾を攻撃する事を知っていた。知っていてわざと攻撃させたのである。それは戦争を始めるための大義名分を世界各国に示すためであった。アメリカ政府は戦争をしたいばっかりに、真珠湾にいたアメリカ人兵士達や、民間人、すなわち、自国民を平気で犠牲にしたのである。その精神は今も続いている。最近の出来事としては、西暦2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件である。イスラーム過激派組織アルカイーダによる民間飛行機がハイジャックされ、貿易ビルに激突させた。しかし、これもアメリカ政府の上層部は事前にその計画を知っていた。知っていてわざと攻撃させたのである。それは戦争をしたいための大義名分を世界各国に示すためであった。これをきっかけにアメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を開始した。これもまた戦争をしたいばっかりに自国民を平気で犠牲にしたのである。この様に今、全人類を支配する悪魔サタンはその支配をアメリカに本拠地を置いている。悪魔サタンはこの様に平気で人を殺す残虐な支配者なのである。そして最後に新型肺炎コロナウイルスである。今年の西暦2020年1月に中国の武漢市で起こった疫病は猛烈な勢いで世界中に蔓延している。まるで映画のバイオバザードの様相である。去年の西暦2019年には、米中貿易戦争があった。この新型肺炎事件も自然発生したとは思えない。これは故意にコロナウイルスを蒔いた人災である可能性が高い。中国を目の敵にしているのは、アメリカの上層部である。アメリカの上層部側がコロナウイルスを蒔いた可能性も否定出来ない。この後、世界は二極化する。すなわち、2つの世界強国が対峙する事となる。1つは南の王であり、もう1つは北の王である。まさに聖書にこう書かれてある。旧約聖書のダニエル書11章5節、[そして、南の王、すなわち彼(北の王)の君たちの1人が強くなる。これは彼(北の王)に対して優勢になり、その支配力に勝る広範な統治権をもって支配することとなる。]ここで北の王とは、イギリス・アメリカ世界強国を表している。これに対する南の王は残念ながら、世界制覇を目指す中国ではない。それはロシアである。近い将来、イギリス・アメリカ世界強国をしのぐほどの勢力をロシアが持つようになるのである。このようにざっと人類の世界史を見てきたが、最後には悪魔サタンは神によって滅ぼされる事となる。その一時の、人類を支配する権利は神によって剥奪され、最終的には神の全創造物に対する支配の仕方は正しい事が立証されるのである。まさに聖書にはこう書かれてある。新約聖書のヨハネの黙示録22章1節から5節、[また彼(イエスキリスト)は水晶のように澄みきった、命の水の川をわたしに見せてくれた。それは神と子羊(イエスキリスト)とのみ座から出て、その大通りの中央を流れていた。そして、川のこちら側と向こう側には、月ごとに実を生じ、実を12回生み出す、命の木があった。そして、その木の葉は諸国民を癒すためのものであった。そして、もはや何の呪いもない。神と子羊とのみ座がその都市の中にあり、その奴隷たちは神に神聖な奉仕をささげるのである。彼らは神の顔を見、その御名が彼らの額にあるであろう。また夜はもうない。それで彼らは灯し火の光を必要とせず、太陽の光も持たない。エホバ神が彼らに光を与えるからである。そして彼らは限りなく永久に王として支配するであろう。]そうである、最後には神の王国が人類の世界強国として永久に支配するのである。その時はまさに嘆きも叫びも苦痛ももはや過去のものとなる。よってたとえ現在、悪魔サタンが我々の人類社会を支配しているにしても、すべてのものはエホバ神の手中にある事を忘れないようにしよう。たとえどれだけ悪魔サタンが自由闊達に支配権を振り回しているように見えても、それらはいずれも、神の手の中で踊らされている家畜に過ぎないのである。