高田義裕の人生論

今日の格言

政治学

今の世界情勢は貧富の差が激し過ぎて、どうしようも無いところまで差し掛かっている。なぜそうなったのか。それは権力の中央集権化のせいである。すなわち政府機関が大きすぎてなんでもかんでも政府が決めるから当然富裕層の意向に沿った、富裕層に有利な政策ばかり実行するからである。なぜなら政治を決める政治家自体が既に富裕層なのであり、庶民の貧しい窮状など知った事では無いからである。では正しい政治の在り方とはどの様なものか。まず、万物はすべて循環している。すなわち数学のコサインカーブの様に山があれば谷がありで、波動関数の様に周期性があるのである。今はちょうど山を登って頂上に達し、これからまた下り坂で谷に下りていかなければならない状態にある。すなわち周期性の山の部分とは、世界が第一次世界大戦と第二次世界対戦を経験し、すべてが焼け野原になり、あらゆる機能がマヒし、無法地帯になっている時であり、すべてを秩序正しく人民を統率するためには大きな政府という中央集権化は非常に有効な手段なのである。それによって人民の生活をコントロールし、まさに共産主義の様に一頭独裁の方が世界情勢は安定するのである。しかし1つの周期の寿命は大体70年間であり、人類は戦後70年かけて復興を成し遂げてきた。すなわち、先ほどのコサインカーブの山の頂上に達したのである。すなわち今の世界情勢は成熟期にあり、成熟期とはちょうど今の世界情勢の事を示しているのである。それは文明が首都圏に一極集中し、地方と都会の格差が肥大し、人とものや情報があまりにも中央政府の権限に委ねられているゆえ、広く隅々まで平等に富の拡散が行き渡らないのである。すなわち富の一極集中である。そう、それゆえに今の現代は貧富の格差が激しくなっているのである。これを打破するには中央集権化を破壊し、大きな政府を小さく解体し、出来るだけ政府の権力を小さくして、小さな政府を目指し、人間個人個人にもっと決定権という自由と権力を与えて世界の複雑な多様性に適応して行かなければならない時期に差し掛かっているのである。すなわち権力の分散化である。よってもっと地方自治体にその地方に応じた独自の政策を実行させる権限を与えて、隅々まで富が行き渡る様にしなければならないのである。すなわち既得権益層の解体である。しかし今の既得権益層は自分の支配権や利権を決して手放したくはないから、無理にでも人民を抑圧して押さえ付けているのである。しかし万物の法則である数学のコサインカーブの様な周期性という大河の流れには人間は決して逆らえないので、無理に人民を押さえ付けていても、いずれそれは崩壊するのは時間の問題である。すなわち大自然の摂理として、今からは谷に向けて下りていく段階であり、権力の分散化が必要不可欠なのである。そしておもしろい事に権力の分散化で富の分配が隅々まで行き渡ると、谷に向けて下りる段階は70年周期で終了し、次はまた山に向かって登っていく段階、すなわち中央集権化の政治が求められていく時代に入るのである。なぜなら、権力の分散化により、あまりにも個人個人に自由と権限が与えられているため、世界各地で権力闘争が起こり、人類はまた戦争する無秩序世界に突入するからである。この時にはまた逆に強い大きな政府という秩序でもって世界を統制しなければならないからである。すなわちこの中央集権化と中央集権化の解体という互いの70年周期での数学のコサインカーブの様に循環を繰り返すのが万物の流れであり、歴史の繰り返しなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

不確かな富にでは無く、神に希望を託すように。

(解説)

富とは不確かなものである。例えば、多くの巨体企業はそれこそ1兆円単位のお金を将来的に成長の希望のある新規ベンチャー企業に投資する。それはもう危険に満ちた賭け事である。もし莫大なお金を投資しても、その新規ベンチャー企業が思惑通りに成長出来なかったとすれば、投資した側は利息も含めて一瞬に莫大な金額のお金を失う。すなわち、投資するお金の額が大きければ大きいほど一円でも株価が下がって信用を失うと、それだけで何千億円と損失を出してしまうのである。この世界情勢は刻一刻と変化し、人工知能(AI)でさえも予測出来ないほど、複雑で波乱に満ちたものなのである。私達は自分達が明日どうなるかもわからないのである。それに比べて神は永遠不変の存在であり、すべてのものの造り主であり、全能者なのである。よって人よ、不確かな富にでは無く、常に神に依り頼むように。神に希望を託す者は決して裏切られる事は無いからである。まさに聖書にこう書かれてある。マタイによる福音書6章24節から33節。[またイエスは言われた。それで、私達は何を食べ何を飲むのだろうかと自分の命のことで、また何を着るのだろうかと自分の体のことで、心配するのをやめなさい。命は食物より、体は服より大切ではありませんか。鳥をよく観察しなさい。種をまいたり、刈り取ったり、倉に集めたりはしません。それでも天の父エホバは鳥を養っています。あなたは鳥よりも価値があるのではありませんか。また服のことでなぜ心配しているのですか。野のユリがどのように育つかをよく考えなさい。ユリは苦労して働いたり、糸を紡いだりはしません。でも神は今日ここに生えていて明日火に投げ込まれる野の草木にも服を与えておられます。あなた方は野のユリよりも遥かに長く生きるのではないですか。ましてやあなた方人間には服を与えてくださるのです。信仰の少ない人達よ。それで心配して、何を食べるのか、何を飲むのか、何を着るのかなどと言う必要はありません。これらすべての事は神を知らない人達が必死に苦労して追い求めているものです。しかし天の父エホバはあなた方人間がこうしたものすべてを必要としている事を知っておられます。なぜなら神は人格的存在だからです。ですからまず神を第一に求めなさい。そうすれば、神は全能者ですから、あなた方が必要な時に必要なだけ、まさにあなたがその必要性を感じてうめく前にふさわしいタイミングで存分に与えてくださいます。それで次の日のことを決して心配する必要はありません。次の日は次の日に考えれば良いのです。何も計画せず、神を信頼してその日暮らしをしてゆきなさい。]

高田義裕の人生論

今日の格言

(お金で買えないもの)

健康はお金では買えない。また幸福はお金では買えない。また親しい人間関係はお金では買えない。

(お金で買えるもの)

無くても困らない高級車。無くても困らない豪邸。無くても困らない高級品。

(解説)

すなわち人間が生きていく上で必要不可欠なものはすべてお金では買えないものばかりなのである。よって人間は別に大金持ちになる必要など全くないという事である。しかも大金持ちの傾向として、お金を持てば持つほど、人は健康を害し、幸福では無く、孤独になるという事である。なぜならお金を儲ける人はビジネスに忙しく、休む暇も無いほど働く傾向にあるので、それにより、過労によって早死にするからである。またお金を持っている人ほど物質面では満たされていても、精神面では満たされず、心に病を抱えており幸福感が無いからである。またお金を持っている人ほど自分に近づいて来る人達を自分の持っているお金目当てに親しくしてくるだけに過ぎないと思っているから、人を信用しなくなり、自分の正直な気持ちや悩み事を打ち明けられる親しい友人もいないので、毎日高級品に囲まれながら1人で酒を飲むという孤独感を味わっているのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

世界中の愛する読者の皆様こんにちは。高田義裕です。何と昨日ブログサーバーのレンタルの更新が出来まして、またこれからも続けてブログを書けるようになりました。これもひとえに読者様のお陰です。本当にありがとうございます。それでこれからも引き続き記事を書いていきたいと思いますので、どうぞこれからも引き続きよろしくお願いいたします。

高田義裕の人生論

今日の格言

世界中の愛する読者の皆様、高田義裕です。非常に悔しい事にこれからもずっとブログを書き続けるつもりでいたのですが、実際、もし生きていればこれから40年間、毎日書き続け、計14000の記事を書く目標で頑張っていたのですが、このブログサーバーは私はレンタルして書いていたのですが、今月いっぱいで期限切れになるので、新たにレンタルの更新をして書くつもりでした。しかし、更新したくてもどうしても更新の手続きに不具合が生じ、これ以上書きたくても書く事が出来なくなりました。本当に悔しい事です。それで今まで2018年1月から2019年10月14日まで書いてきた記事、約620記事がすべて2019年10月31日をもって消去されてしまいます。それで誠に申し訳ありませんが、もし私の記事をまだ全部読んでいない方は、ぜひとも2019年10月31日までにすべての記事を各自ダウンロードしてお読みする事をお勧めいたします。そうです、2019年10月31日付けをもって[高田義裕の人生論]の記事は全部消去されてしまいます。今まで私の記事を読んでくださった読者の皆様本当にありがとうございました。最後にもし私の著書に御興味のある方は2020年の2月28日まで販売している、題名が[命の書、著者名、高田義裕]という電子書籍の本と紙の本がAmazon.co.jpの電子書籍版からkindleストアで販売されておりますので、もし御興味のある方は読んでみてください。これでインターネットのブログサイトで書けるのは最後になりましたが、これまで読者の皆様のたくさんの励ましのコメントをお寄せくださった事で私は大変励まされ、深く感謝しております。私はまたこれからも日々勉強し、研究を続けて、いろいろな事に挑戦していきたいと思っておりますので、なにとぞこれからもよろしくお願いいたします。それでは最後になりましたが、読者の皆様のさらなる幸福を願って最後の挨拶に代えさせていただきます。

高田義裕の人生論

今日の格言

タイムマシンのパラドクス

2019年10月14日現在、タイムマシンは既に完成している。なぜなら、タイムマシンがこの後、20年後の2039年10月14日に完成しようと、100年後の2119年10月14日に完成しようと、タイムマシンという時間ワープが存在した時点で、どの時間帯でも移動出来るわけだから、大昔の紀元前6000年前にも行ければ、遥か彼方の一万年後の未来にも行けるわけである。すなわちタイムマシンが完成した時期などあまり意味は無くなり、我々のいる現在の時間帯も最先端の未来では無くなるのである。そう、時間の流れなどもはや意味は無く、すべての時間帯の世界が、ある1つの一点に同時に平行して存在しているのである。すなわち、現時点ですべての世界が存在しているわけであり、大昔の紀元前6000年前の時点でもすべての世界が存在していると言えるわけである。これは例えれば、巨大な宇宙空間に、もしワープマシンが出来るようになれば、一瞬にしてどんな遠いところでも行けるわけだから、この広大な宇宙の広さなど意味をなさなくなるのである。これと同様にタイムマシンという時間ワープが出来るようになれば、遠い過去や未来などの区別は全く意味をなさなくなってしまうのである。要するに全体から眺めれば時間など流れておらず、ただ一点に時間が停止しているだけなのである。すなわちこの全世界が既に巨大なタイムマシンなのであり、我々の普段論じているタイムマシンとは非常に局所的な短時間なものに限って論じているものに過ぎないのである。すなわち、この全宇宙も巨大なワープマシンなのであり、我々が普段論じているワープ理論とは非常に局所的で短距離である場合にのみ限って論じているものに過ぎないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

自分の父と母に向かって、なぜ私をこの様に産んだのか、もしくはなぜ、私を産んだのかという者は、自分は父と母が産まれる前から存在する者である、と言っている事に等しいのである。これを愚かな事と言わずして何と言おうか。

2.人は誰でも一回は自分の事が嫌いになる時期があるし、むしろそうなるべきなのである。その段階を経て初めて、人は皆、自分の事を自己肯定できるためのスタートラインに立つのである。

3.見かけは同じ、されど中身は全く違うというものの中で一番顕著なのは人間である。

4.多くの正しい事に気付く人間はたくさんいるとしても、また同時にそれを実際に自分に当てはめている人間でもあるかどうかは、また別問題であること。そしてその両方を行っている者は少ないのである。

5.万物の様は栄枯盛衰の繰り返しであること。

6.いくらでも出来る事で、それでもそうしないとすれば、それこそ、もはや救いようは無いのである。

7.人が改心する事で遅いという事は無い。すなわち、その本人が改心の必要性を自覚した時こそが、初めてその当人にとっての真の改心するべき時期なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神の存在の証明

よく悪人は偽札を作るが、それは本物の紙幣があってこそできる事である。つまり正式な正しい紙幣があるからこそ、偽札を作るという悪行も存在する事が出来る。また、ある政府が、内密に金塊を輸送するというミッションがあるからこそ、悪人はその金塊を強奪する計画を立てる事が出来る。この様に正しい事と悪い事は表裏一体であり、正しい事が存在してそれを破ろうとする事が悪なのである。この世の中は悪と汚職と不正に満ちている。そうである。逆説的ではあるが、この世の中に確かに悪が存在している事が、間違いなくその反対である正しさや清さや公正さも存在する事を証明するものである。すなわち、この世の中に究極の悪が存在する限り、清さや公正さや正しさの点で究極である神が存在する事がはっきりと分かるのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

今この地上において貧しくて苦しんでいる者達よ、あなた方はまずこの地上にでは無く、天に宝をたくわえなさい。天に宝をたくわえること、すなわち、今の状況で精一杯の愛情を隣人に注ぎ、互いに隣人に親切を示し、隣人に惜しみなく与え、惜しみなく隣人の罪を許す事であり、その事をまず最初に行い続けるなら、地上の宝、すなわち、衣服や住居や食物などの物質の必要は必ず満たされるからである。あなたが今貧しいのは、その貧しさのゆえにこの世の中を憎み、自分を憎み、隣人を妬んで憎しみの感情を抱いているからである。ぜひともそれを止め、今の貧しい現状で出来るだけの感謝の念と愛情を示しなさい。その様にして天に宝をたくわえる者は、必ずこの地上にある物質的必要物に事欠くことは決して無いからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人生は宝くじ型が良いか、蓄積型が良いか?

人生の型とは蓄積型が良い。なぜなら宝くじ型の様に一時に大金が入ってくる様な人生は必ず破滅するからである。すなわち最初から一気に強運が舞い込んでなんでも上手くいくと、人は必ず有頂天になってしまい、人生とはこんなもんだと人生をなめてしまうからである。そうなると、人生上手くいって当然の意識が当たり前になるから、どれだけ恵まれていても感謝する心が育たないし、自分の欲望のままに生きるから、人生に何の計画性もなくその場しのぎで生きてしまう。すなわち宝くじで当たったお金を乱費してしまいお金を使い果してしまう様に、大量にあった運気も無駄に使い果してしまうのである。そうなると後は一文無しで一気に人生は逆境の奈落の底に落ちてしまうのである。しかし、最初は一文無しから始まって、貧しさを経験し、人生とは厳しいものであるという意識が当然のものとなると、何事にも感謝の念が培われ、少しの進歩も有り難いと思えるようになる。当然、お金の有り難みもわきまえるから、無駄遣いしなくなる。そしてコツコツと努力する事によりだんだん運気が向いてくると、彼は決して油断せず、慎重に人生設計して計画を立てて生きるようになる。もちろんお金が増えていっても、決して乱費しないで、計画的に使うから貯蓄も増えていく。そう、このように蓄積型の人生の方が人生は成功するのである。古今東西、人生の敗残者は得てして皆宝くじ型の人生であり、古今東西、人生で成功した人は皆、蓄積型の人生なのである。