高田義裕の人生論

今日の格言

あなたは今車を運転している。それで大通りに出たいのであるが、あなたは確実に待たなければならないが、安全に確実に渡れる信号機のある道路から出るか、それとも待つ必要は無いが、渡る際に車の交通の激しい合間を縫って渡るしか無い危険のリスクのある信号機の無い道路を選ぶか、どちらにするか。答えは二つの手段を交互に使うということである。すなわち、大通りという車の交通の激しい道路に出るには安全に確実に渡れる信号機のある道路を選び、そんなに車の交通の激しくない道路に出る時には待つ必要の無い信号機のない道路から出れば良いのである。すなわち人生においても交通の激しい道路のようにハイリスクを伴う事柄に出くわしたなら、それを回避し、あまり交通の激しく無い道路のようにハイリスクを伴わない事柄に出くわしたなら、それを渡るという事である。しかし人間の人生とは賭博そのものであるから、ハイリスクを選べばハイリターンが得られるし、ローリスクを選べばローリターンしか得られないのも事実である。しかしハイリスクハイリターンの危険な人生とローリスクローリターンの平凡で普通な人生のどちらかを選ぶと言うと、大半の人間はローリスクローリターンの普通の人生を送っているのである。しかし刺激を求めてあえてハイリスクハイリターンの危険な人生の方を選んだとしても、また安全を優先しローリスクローリターンな普通の人生の方を選んだとしても、人生の渡り方はどちらにしても危険な時は危険を出来るだけ回避し、なるべく安全な道を選ぶという二つの手段を交互に使い分けるというやり方は同じなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

動機付けが正しければそれは必ず実現する。

あなたの動機付けが正しければあなたの願望は必ず実現する。例えば、あなたが人からの賞賛を浴びたい、みんなから注目されたいという利己的な理由でスターやアイドルや俳優になりたいと思って努力してもそれは実現しない。しかしあなたは心の病を抱えていて、対人恐怖症で自閉症だったとする。それであなたはこの自分が惨めに感じているこの心の病をどうにかして克服したいと願い、大変な努力をしてあえて人前に出るようにしていた。そしてその心の病である対人恐怖症で自閉症であるハンディキャップをバネにして頑張っていたらなんと自分は自分が一番苦手としていた人前に自分を晒さなければならない一躍トップのスターダムにのし上がる事が出来た。このように動機が切実でハンディキャップを乗り越えるという正しい動機であれば、あなたの願望はなんであれ、必ず実現するのである。すなわち成功した人は古今東西すべて、利己的な理由で成功したのでは決して無く、すべて自分の苦手とするハンディキャップを乗り越えるために努力した結果、成功した人達ばかりなのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

濡れやすくて乾きやすい靴と濡れにくくて乾きにくい靴とはどちらの方が利便性が良いか。まず10日間連続で雨が降るとする。そして両方が必要とする靴の数を計算し、10日間の中でどちらが必要とする靴の数が少ないかを調べるのである。まず濡れやすくて乾きやすい靴をAとし、濡れにくくて乾きにくい靴をBとする。Aの場合、1日目の雨の日はずぶ濡れになった。それで2日目はまた別のAを履く。そして2日目もずぶ濡れになった。それで次は3足目のAを履いた。そして3日目もずぶ濡れになった。しかし、その間に一番最初に履いたAがすっかり乾いていた。それで次はその乾いたAを履いた。そして4日目もずぶ濡れになった。しかしその間に2日目に履いたAがすっかり乾いていた。それで5日目はそのAを履いた。そして5日目もずぶ濡れになった。しかしその間に3日目に履いたAがすっかり乾いていた。それで次はその乾いたAを履いた。そう、Aの場合は、最低3足あればたとえ毎日雨が降っても事足りるのである。次はBを見てみよう。まず1日目にBを履いた。しかしそれは濡れにくいのでずぶ濡れにはならなかった。それで2日目も同じBを履いた。すると2日目にはBはずぶ濡れになった。それで3日目には二足目のBを履いた。しかしそれは濡れにくいのでずぶ濡れにはならなかった。それで4日目も同じBを履いた。すると4日目にはBはずぶ濡れになった。それで5日目には三足目のBを履いた。しかしそれは濡れにくいのでずぶ濡れにはならなかった。それで6日目も同じBを履いた。すると6日目にはBはずぶ濡れになった。それで7日目は4足目のBを履いた。しかしそれは濡れにくいのでずぶ濡れにはならなかった。それで8日目も同じBを履いた。すると8日目にはずぶ濡れになった。しかしようやく一番最初に履いたBの靴がすっかり乾いた。それで9日目には一番最初に履いた乾いたBを履いた。しかしそれは濡れにくいのでずぶ濡れにはならなかった。それで10日目も同じBを履いた。これで終了である。結果はどうであったか。濡れやすくて乾きやすいAは同じ靴を3足用意すればそれで事足りた。それに対し、濡れにくくて乾きにくいBは10日間の間に最低4足のBが必要であることが分かった。これにより、濡れやすくて乾きやすいAの方が濡れにくくて乾きにくいBよりも最低限必要な靴の数が一つ少ない分、靴を選ぶには濡れやすくて乾きやすい方が利便性がある事が判明した。このようにある対象の性質があって、それが実際にはどういう利便性を持つか知りたい場合、すなわち、その調べたい対象の性質の本質を知りたい場合、その性質の対象を無限に積み重ねて振るいにかけるのである。例えば極小のナノクラスの物質の本体を知るためには、その知りたい対象のナノクラスの物質を無限に積み重ねるのである。すると、それは普通の顕微鏡でも見れるほどまでその物質の結晶が析出してくるのである。このようにあるXという性質の本質を知るためにXを無限に積み重ねていく事によってそのXの本質を知る事を[無限集積法]と言う。

高田義裕の人生論

今日の格言

人間とは皆、一方が衰えてくると、代わりに別の一方が抜きん出てくるのである。例えば、若い時は記憶力は良いが、決断力に欠ける。しかし年をとると記憶力は鈍るが、その代わり物事を決定する決断力が付いてくるのである。

1.人間にとって[存在する]とは、ただ前からそこにあった、という事を指すのでは決して無く、[困難であるが、不可能では無い]という事を指すのである。また、人間にとって[存在しない]とは、ただ前からそこに無い、という状態の事を指すのでは無く、[それは行う事は出来るが、行ってはならないこと]を初めて指すのである。

3.最初の人間アダムとエバが神に対して罪を犯したため、地は呪われた、と聖書に書かれているが、それは地が人に対して何か変化したのでは無く、むしろ人が地に対して変化したという事である。不完全で罪深くせいぜい長くても1世紀足らずしか寿命の無い今の私達人間にとっては、周囲の地のあらゆる作用、すなわち、動物界や自然界は非常な脅威であるが、これは何か彼らが私達に対して攻撃を仕掛けているわけでは無く、相対的に私達人間の側が弱くなっただけだからである。よってひとたび、救われた人類が命の永遠性を与えられる時、現在私達が常識として感じ、受けている周りの環境の状況とは全く違った様相を呈した周囲の状況が、永遠性を持った彼らに影響を与えるはずなのである。すなわち今とは全く違った感覚で動物界や自然界を捉えられる様になり、かつ、今では成立しておらず、むしろ今では考えられないような関係や状況に身を置き、それらを享受出来るようになるはずなのである。よって天地創造以来、人間以外の創造物は何一つ変わっていないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人生とは守りに入るよりも攻めに入る方が実は楽である。なぜならスポーツにおいても、アタックの場合は敵のどこか一箇所でも隙があればそこだけに集中して攻めれば良いのに対し、もしディフェンスの側に立ったなら、敵がどこから攻めて来るか予想がつかないから、ディフェンダーはすべての箇所の隙を防がなければならないからである。すなわち人生を守りに入る方が人生を攻めるよりも余計な手間や体力がかかり、無駄なエネルギーを消費してしまうのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

偉大な人とは誰か。

才能があり、頭が良く、仕事が出来るエリートよりも、人の話をよく聞き、誰の事も悪く言わず、人の気持ちをくみ取る事の出来る心の低い者の方がより偉大であること。

2.何ら非とするところが無く、自分に修整すべき悪いものが何も無い善人よりも、自分の非とするところを指摘されてもそれに腹を立てず、その指摘を謙遜に受け入れ、自分の過ちを認め、それを直そうとする悪人の方がより偉大であること。

真の愛とは何か。

真の愛とは、普段は他の人の話をよく聞いてあげて、お節介にも他の人の悪い部分を指摘してそれを直してあげようとする様な尊大な態度は全く無く、ただその人が困った時にだけ行動に移して援助してあげる事だけが、真の愛なのである。真の愛はお節介でもなければ、恩義せがましくも無いのである。

 

高田義裕の人生論

今日の格言

理想と現実の格差が大きいほど人は嘆きもすれば、また、奮闘もすること。

2.正常と異常との狭間で人は奮闘し、そこから自分にとっての正しさを確立して行くものであること。

3.[誇る]とは、[一方を重んじて他方をあなどること]であること。しかし真の知恵はすべての方向に目を向けている。すなわち真の知恵とは[謙遜]であるという事である。

4.本来、生きるという事は人格的存在であるであるということ。よって人間関係に勝る権威や力は一つとして無いこと。よってその中で最大のものは人と神との親密な関係であること。よってこれらの関係によって生じ得る力よりも勝るものなど何一つ見つけられないこと。

5.実は神が直接創造されたもの以外は何一つ必要無いこと。すなわち人間の創造したものはすべて害悪を生じさせること。

高田義裕の人生論

今日の格言

(題名)    最も遠い場所はどこか。

最も遠い場所はどこか。それは宇宙の果てだろうか。それとも超ミクロの素粒子の世界であろうか。例えで考えて見よう。まず地球を考える。地球は丸い。自分の立っている位置から最も遠い距離数である場所はどこか。例えば、私が日本に住んでいるのなら、一番遠いのは日本の裏側であるアメリカ大陸か。実はそうでは無い。実はあなたから最も遠いのは、あなたの右からの距離で言うと、あなたのすぐ左側なのである。また、あなたの左からの距離で言うと、あなたのすぐ右側なのである。そうなのだ。あなたにとって一番遠い場所は、あなた自身が今立っている場所なのだ。すなわち地球をぐるっと360度回って来た距離数が一番長いのであり、それは今あなたの立っている場所なのである。よって人生においても、あなたにとって一番遠い存在とは何か。片思いの異性か。死んでしまった両親のことか。あなたの思い描いている理想のことか。仕事で成功することか。いずれも違う。あなたにとって一番遠い存在はあなた自身なのである。そう、実現できそうにも無い理想や目標があなたにとって一番遠い存在なのでは決して無く、あなた自身があなたにとって一番遠い理想なのである。すなわち、あなたの人生であなたが目指すべきものはあなた自身であり、あなたの人生の主役はあなた自身なのである。あなたは自分以外のあなたの憧れるスポーツ選手や、アイドルや手の届かない異性や、有名俳優などに成りたいと思って、彼らを理想とし、自分から最も遠いものとして見ていないか。それはあなたは騙されているのである。他の人の儲けようようとする商法にまんまと引っかかっているのである。あなたはせっせと自分とは全く関係の無い赤の他人のために酷い思いをして稼いだお金や自分の貴重な時間をそのスポーツ選手や有名人のポスターやグッズやDVDやいろんな商品を買う事によって狡猾でずる賢い商売の仕掛け人のカモになっているのであり、搾取されているのである。よってそんなくだらない事はもう止めて、あなたはあなた自身のためにあなたの貴重な時間とお金を投資せよ。自分のためにお金と時間を使え。なぜならあなたが存在して初めてあなたはこの全世界にいられるのであり、あなたにとってあなたの存在があればこそ、あなたにとってのこの全世界も存在するからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人生とは、異性に対する条件や理想が高過ぎて、高望みしているうちに結婚適齢期を過ぎてしまう女性に似ている。すなわち、人生とは何かを考えているうちに人生は終わってしまう。

2.いい女を欲しかったら、いい男にならなければならない。いい男を欲しかったらいい女にならなければならない。

高田義裕の人生論

今日の格言

倫理法則1

正しさとは、一対一対応の事である。すなわち一つの必要に対して必ず一つの対応を与えるのである。

悪とは、一つですべての必要を満たす事である。すなわち一つですべての事を賄おうとする事である。

正しさとは例えば1人の男子に対して必ず1人の女子を与える事であり、一夫一婦制の事である。

悪とは例えば1人の男子に対して、10人でも100人でも女子を与える事であり、一夫多妻制の事である。

(解説)

一つですべての事を賄えればそれに越した事は無い。すなわちオールインワンである。しかし現実はそんなわけにはいかない。例えば家を建てる時、あなたはかなづち一本で家を建てられるだろうか。いや建てられない。なぜなら家を建てるには、木を切るノコギリがいるし、釘を打つかなづちもいるし、木を削るかんなもいるのである。すなわちかなづちで木を切れるわけが無いし、かなづちで木を削る事も出来ないのである。すなわちある必要に対して必ず一つの対応を与えて初めて家は建つのである。すなわち一つの事で多くの事を賄おうとして欲張ると言う事、例えば、歯が痛い患者にもお腹が痛い患者にも目が痛い患者にも全く同じ薬を出す様なものである。やはりここでも一対一対応で、歯が痛い患者には歯の痛みを治す薬を与えねばならないし、お腹が痛い患者にはお腹の痛みを治す薬が必要であるし、目が痛いなら、目薬が必要なのである。すなわち儲けようとする事は悪なのである。なぜなら人は一人一人違うのに、支配者は一種類の知識なり、食事なり、道具しか与えず、それで暴利を貪っているからである。やはりここで正しいのは一対一対応であり、人間一人一人に対して個別のオーダーメイドの知識なり食事なり、道具を与えなければならないのである。この世の中は体の小さい人にも体の大きな人にも同じサイズの服を無理やり着せてそれによって暴利を貪っているからである。すなわち1人の支配者が大勢の人間を支配する事によって自分1人だけが暴利を貪っているゆえに、この世の中は悪や不正や病気やあらゆる問題が生じているのである。あくまでも正しいのは、みんなが1人のために、1人がみんなのためにする事であって、all for one, one for all でなければならないのである。