今日の格言
日本の終戦記念日である今日において。
人間は戦争の悲惨さを忘れる頃にまた戦争を始める。
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今日の格言
日本の終戦記念日である今日において。
人間は戦争の悲惨さを忘れる頃にまた戦争を始める。
今日の格言
現実には、悪い事柄が行われる際、それは悪い事と思ってなされていないため、悪い事柄が際限無く生じているのである。
2.もし神の側に砂つぶほどの小さい不足が見出されたとしても、それだけでも神の主権の立証は成立しなくなるのである。
3.その人は本当はどのような人間なのかは、その人が順境の時に決まるのでは決して無く、その人が逆境に立たされた時、どう行動するかによって初めて分かること。
4.倫理1. 人間が可能な事はすべてしても良い事なのである。それではなぜ人は淫行するのか。またなぜ人は姦淫するのか。また人はなぜ人を殺すのか。それはすべて我々は人間では無いからである。神に対して罪を犯した人間は神の価値観からは、もはや人間では無いからである。我々は人間の様なもの、人間に似たもの、すなわち人間の偽物、ギミック、ダミーなのである。そう、現代で言えば、クローン人間の様なものである。しかし私達ダミー人間には1つの救いがある。すなわち私達が罪深い故の特権である。それは神に栄光を帰す事であり、人が自分の存在の虚無感を味わって初めて人間は神に栄光を帰する事が出来るのである。その時に初めて人間はその存在に意味を与えられるという事である。
今日の格言
二元論による神の存在の証明
万物はありとあらゆる種類に区分される。植物類、魚類、畜類、鳥類、爬虫類、昆虫類など様々である。しかしここでたった2つによって万物を区分しよう。すなわち二元論によってである。順番として、より小さな範囲から大きな範囲、もしくはより具体的なレベルからより抽象的なレベルで表してみるのである。例えば、我々は仕事をしているので、我々は雇う側か、雇われる側かに区分する事が出来る。また我々は政治と律法の基に生きているから、支配する側か、支配される側かに区分する事が出来る。このようにどんどん二元論の要素を部分的なものから全体的なものへと拡張していくのである。そしてそれが極度の抽象性にまで振るいにかけていくと最後には我々は生かしている側か、生かされている側かに区分出来る。我々はもちろん生かされている側なので、生かしている側は誰かという事になる。それは神しかいない。すなわち究極の二元論は神か、神以外かという事に区分される。よって神は存在する。そして最も主観的な二元論として人間としての内面的意識、すなわち、私か、私以外かという区分に分かれる。我々人間は、この私か、私以外か、という二元論によって周りのものすべてを観察し区別して生きているのである。
今日の格言
私達人間の提出する知恵は、どう頑張っても部分的な範囲に関してしか通用しないものであり、そのレベルを超える事は出来ないものである。すなわち決して全体を把握する事は出来ないのである。そして物事の正しい見方は、まず常に全体を把握してからでないと何も始まらないのである。例えばアインシュタインの有名な方程式E=mc²は大変簡潔で美しい定理と言えるが、人類はその式を基にして原子爆弾の知識を得たのである。しかし、その式は私達人間に原子爆弾の副産物である、すなわち放射能汚染の危険を何ら提示するものではなかった。よってE=mc²も放射能の危険を予知出来なかった事において部分的な知恵なのである。ここで言う全体的知恵とは、物質はエネルギーで出来ていること、そしてその物質の核融合で莫大なエネルギーが生じること、そして核融合の後には放射能が付随して生じること、そしてその放射能は生物に甚大な悪影響を与えることまで提示して初めて完全であると言えるのである。
2.すべて個人的レベルへの批判が初めて有害なのであって、同じ批判でも、全体的レベルへの批判ならそれは決して有害なものでは無くむしろ有益な事なのである。よって個人に対する誹謗中傷は良くないが、社会全体を批評する事は人類の未来の行く末を予見する事において非常に大事な事なのである。
今日の格言
(題名) 人間万事塞翁が馬
人間良い事と思っていてもそれが災いとなる事があり、人間それを災いと思っていてもそれが良い事となる事がある。すなわちすべてには非予測的要素が絡んでくるのであり、物事は白黒つけ難いのである。例えば、交通事故に遭って、頭を軽く打ったので、念のために病院に行って脳を検査してもらったところ、何と自分は脳の血管が詰まっていて、もう少しで脳梗塞になるところだった。すなわちその交通事故という災いのお陰で脳梗塞で倒れる事を未然に防ぐ事が出来たのである。また、仕事に寝坊して遅れて上司に怒られたが、もし遅刻しなければ乗るはずであった飛行機が事故にあって墜落した。それで九死に一生を得て、命が助かる事もある。また、宝くじに当選して大金を手に入れ、高級車を買って乗っていたら、それはその地元のマフィアのボスの車と非常に似ていたため、間違ってマフィアに狙われ、車に銃弾を浴びて死亡したりする事もある。このように物事は非常に複雑で入り組んでおり、良い事に悪い事は付き物であり、悪い事に良い事は付き物であり、何をもって良い事とし、何をもって悪い事とするかは甲乙付け難く、物事において判断する事が出来ないのである。すなわち人生すべて塞翁が馬であり、人の幸不幸は判断付け難いのである。
今日の格言
深い愛は憎しみを消し去り、深い憎悪は愛を消し去る。
2.激しい愛とは激しい憎しみと表裏一体である。よってあなたが激しい愛をもって愛していたものを何らかのきっかけで激しく憎む様になる。
3.自分の事の様に神エホバを愛せよ。そうすればあなたには将来がある事になる。
4.この世の中で密かに執り行なわれている事柄とは、神から見て憎悪し、嫌悪すべきものである。彼らは女を犯し、人の物を強奪し、人身売買を行い、人を騙して巨額の利得を得ている。彼らはエホバを恐れない者であり、彼らは突然、鳥が編み罠にかかるように突然砕かれて癒される事が無い。彼らを裁く神は強い方だからである。
5.すべての人は神に寄りかかり全く神に依存しているのにその思いや口では神を否定し、神を罵っている。
6.すべての事には優先順位がある。まず精神的なゆとりを蓄え持ってから、その次に物質的ゆとりがあれば、それが一番ベストなのである。
今日の格言
人間、社会人となって大人の世界を知るようになると、自分の事を本当に愛してくれる人など1人もいない事が分かる。仕事上の人間関係も表面的には仲良くやっていても、誰も自分の本心を見せる人はいないし、本当に心許せる人もいない。そこで人はようやく理解するのだ。自分を本当に愛してくれていたのは両親や家族だけだったと。そして何よりも大事な事は、自分を愛せるのは自分1人しかいない事も。結局人間の本質は孤独なものであり、本当の悲しみや苦しみを癒せるのは自分1人しかいない事も。であるから、人は自分自身を大切にしなければならない。たとえどんな問題が起きようとも自分を信じ続けるのである。なぜなら神ご自身があなたが生まれる前からあなたに生きていける為の能力をそれぞれに与えておられるからである。あなたが生まれつき当たり前のように持っている様々な能力こそ、神があなたにお与えになったものである。すなわち神を信じるという事は自分自身を信じる事である。各人には各人独特の時間的リズム、すなわち自分のペースを持っているからである。このペースを乱されるとどんな事をやっても上手くいかない。要するに人生を上手く生きている人は他の人からの様々な外圧を受けても決して自分のペースを乱さないという心の訓練が出来た人なのである。何事をするにも慌ててはいけない。どんなに仕事に熟練した人であっても、慌ててしまっては本来の自分の能力を出せないのである。よって自分のペースを乱してくる様な人物には特に用心せよ。その様な人は本来あなたとの心の波長が合わない人であり、あなたにとって苦手であり、相性の悪い相手だからである。どこに行っても自分にとって相性の合わない苦手な人はいるから、それは学校でも職場でも同じ事である。まず大事な事は周りの人達をよく観察して一人一人の心の傾向、すなわちどんなタイプの人かをよくよくわきまえる事である。孫氏の兵法にもある様に、相手を知り、己を知れば百戦危うからず、なのである。そのためには経験を積んで、自分という人間がどういう人間かをきちっとわきまえる事が大事である。私達にとって日常生活を送る事は人生の戦いそのものであるから、相手をよく知り、自分の弱い部分を常に意識して相手にその弱い間合いに入らせない様に気をつければ、人生を平らに進む事が出来るのである。
今日の格言
他の人の物事が順調にいっているのを見て、ため息をついてうらやましがっている人達に対して言える事は、それはその人が、その順調にいっている人の表の部分だけを見ているのに過ぎず、実際には成功した人の、人知れず大変な思いをして行い続けて来た下積みの裏の部分を全く考慮に入れていないのである。そこまでうらやましく思うのなら、自分もそうなれる様にいっぺん努力してみればよいのである。そうすれば、自分の直に体験する経験を通して、裏と表の本質と事情がはっきり見えてきて、成功する事がいかに大変な事かが分かってくるはずである。そうすれば、必ず自分に都合の良い見方である、うらやましい感情などはどこかへ消えて無くなるはずである。
今日の格言
私達人間は自分達があらゆる生き物の中で一番長生きする生き物だと思っていないか。実はそうでは無い。人は1日で咲き、1日で枯れる美しい花を見て花の寿命は何と短く、はかないのだろう、と思う。鳥や魚や昆虫も長くても数年しか生きられないのを見て、哀れみを感じる事であろう。しかし逆説的ではあるが、すべての生き物の中で最も寿命が短いものは、あろうことか、我々人間なのである。我々は神の像に造られ、喜怒哀楽という感情を与えられ、互いに愛し合う存在として創造された。すなわちすべての生き物の中で一番高尚であり、高等生物なのである。それは人間が霊長類と呼ばれる所以である。すなわち我々の命というものはどんな他の生き物よりも価値があるのである。であるから樹木の様に短くても1000年は生きて当然なのである。しかし実際は現代社会になって、医学が発達し、ようやく平均寿命が80歳代にまで来たところである。例えば、犬の8歳は人間で言えば、40歳代である。犬でさえ平均15歳以上生きるのだから、人間で言えば、100歳以上生きるのである。ましてや犬よりも小さくて下等な生物である昆虫や鳥や魚は犬よりもっと生きるのである。犬が人間の寿命の五分の1くらいなら、昆虫は犬の寿命の100分の1くらいである。よって昆虫が平均5年生きたとすると、人間で言えば、(100×5)×5=2500年も生きているのである。1日で咲き1日で枯れる花でさえ、花の1日は人間で言うと500歳であり、なんと、人間が一番短命なのだ。どうしてこんな事になってしまったのであろうか。それはすべて本当は永遠に生きられるはずだった人間が、神のいう事を聞かず、それにいい逆らい、反逆という道を選んだが為であり、そのおかげで人間はあらゆる生き物の中で一番惨めな存在になってしまったのである。
今日の格言
物体は速度が速くなればなるほど、周りの空間は縮む。例えばあなたが外で道路を歩いているとして、左側から1キロメートル先に自動車がこちら側に向かっているとしても、あなたのその歩く速度ではその車はあなたの視野にすら入ってこないどころか、あなたはまだその時点では車が左側から向かって来る事すら気付かないであろう。せいぜい気付いてもあなたの位置から車が200メートルまで近付いて来て初めてあなたは左側から車が来る事に注意を向けるであろう。しかし、次はあなたが車を運転しているとする。あなたは時速100キロメートルの猛スピードで走っているとすると、左側から車が1キロメートル先からこちら側に向かっている事がすごく気になるはずである。まず自分の車にぶつからないかと注意して運転し、減速さえするであろう。このように自分が速く進めば進むほど、歩いている時には非常に遠くに感じていたものがすごく近くに感じられるようになるのである。これはあなたの運転する車にとって歩いている時よりも空間が縮んだ事を意味する。そして空間だけでなく、時間も縮んだ、すなわち時間も短くなったのである。なぜならあなたが歩いている時は左側から1キロメートル先の車が来るのがあなたが気付かないほど遅く感じたのであり、遅く感じたという事はそれだけ時間が遅く流れていたという事である。しかしあなたが車で100キロメートルのスピードで進んだ時には左側から1キロメートル先の車が来るのを速く感じたのであり、速く感じたという事はそれだけ時間が短くなった事を意味する。それではもし、光の速さであなたが進むとすると、どうなるであろうか。するとあなたはまだ地球の近くにいるのに、太陽がすぐ近くに迫って来るように感じるのである。これはあなたが光速で進んだ分、宇宙空間が縮んで狭くなった事を意味する。それでは光速よりももっと早く無限に速度を加速して進んだ場合はどうなるであろう。すると宇宙全体が急速に収縮して、1つの点上に圧縮されてしまうのである。すなわち、ビッグバンが生じる前のただ1つの1点に戻るのである。また同時に時間も一瞬にして短くなり、時間もただ1つの1点に収縮し時間は停止してしまう。これは何を意味するか。それはブラックホールである。私達は光速より遥かにゆっくり動いているから、逆に宇宙は膨張している様に見えるのであり、宇宙全体は光速以上の無限の速さで進んでいるので、宇宙全体が実はブラックホールなのである。すなわち私達は巨大なブラックホールの中で生きているのである。