今日の箴言
人間は何か問題が起こると、すぐに規則を設けてそれを規制しようとする。しかし、ここで規則というものがいかに愚かしく、危険なものかを論証して見よう。職場では、特に鉄工所などの危険な作業場では、常に安全第一が求められる。そこで、会社は、決して事故が起こらぬよう危険な事があったら逐一報告し、改善提案する事を従業員に義務を課した。これにより、危険行為は本人の不注意と見なされ、厳罰が課せられる事になった。それで、従業員は毎日ビクビクしながら決して事故は起こさない様に作業をする緊迫状態で作業しなければならなかった。しかし、ある日、Aさんはある作業をしていて、たまたま、ゆびにかすかな切り傷を付けてしまった。しかし、その事を上司に話せば、大問題として取り上げられ、本人の不注意として厳罰が処される事は目に見えていた。それで、Aさんは切り傷を負った事を誰にも言わずに隠して作業を続けた。何日かして、Aさんはいつも通りの作業を行っていたのだが、切り傷はまだ完全には治らず、傷のせいでいつもの作業は余りはかどらなかった。すると、上司が来て、いつもより数をあげていないAさんにもっと早く製品を仕上げるよう注意した。それでAさんは慌てて、手の傷のせいで作業効率が悪くなっているのにもかかわらず、無理をして作業を続けた。しかしそのせいでうっかりミスを犯して手を切断するほどの事故を起こしてしまった。会社はそれを聞いて真っ青になり、労働災害として国から処罰されるのを恐れ、事故の原因はすべてAさんの不注意に拠るものと独断し、その事故の翌日からAさんを解雇した。どうだろう、事故を起こさない為に厳しい規則を設けて、事故を防ごうとしたのに、逆に厳しい規則の故に従業員はどんな些細な事故でも罰則が怖くてそれを隠蔽し、その些細な事故が大きな事故を誘引してしまったのである。これこそ規則というものの恐ろしい正体である。よって、何でも問題を解決する為には規則を作ればいいと安易に考えては駄目なのである。これは一種のジレンマであり、パラドクスである。この様に人間が設ける規則というものは、甚だ不完全で、人間社会のあちこちに決して表面化しない形で企業ぐるみで隠蔽されており、あらゆる悲惨な弊害を産んでいるのである。
