今日の箴言
真に、自分の意志を持って、ポリシーの元に生きている人間達は、しっかりと地面に根を下ろしている稲穂にも例えられる。これに対し、信念を持たない、自分の意志を持たず、その時その時の状況の変化によって、右往左往する人間達は、不穏に変化して止まない海の波にも例えられる。
2.論証、または、論理とは、誇り、ひいき、甘え、好奇心、貪欲、ご都合主義、栄光、名誉、傲慢、推察、仮定、憶測、傾いた見方、身内ウケ、などの不純物を一切取り除かれた上で、筋道を立てて考え、順序正しく築き上げて行った後に、結論出される事柄の過程のことを言う。
3.自分は、何でもできるという非現実で、不実な考え方から、自分はできる時に、自分のできる限りのことを行うという現実的で謙虚な考え方に、変えなければならない。
4.自分が本気で、何に取り組めば良いのか、判断しかねる時に、それを判断する為の良い方法として、自分が極限状態に置かれたことを仮定してみると良いのである。例えば、この後、自分の余命が幾ばくかで、長くは生きられないという状況になった場合を想定して見て、取り敢えず、一ヶ月ほどは、何か一つだけ自分のしたい事が出来る期間が残されているとする。そういう立場に立った場合、自分は果たして何を行うだろうか推論して見れば良いのである。その時に、思い付く事柄が、自分が今、本気で取り組むべき事柄であるはずである。
5.人の、その時の気分の高揚の高まりによって衝動的に語った事柄は、全くの推論の域を出ないものであり、私達は、常に冷静に、真実な事にのみ、耳を傾けるべきであるし、また、真実な事にのみ信頼を置くべきなのである。よって、大げさに語る者は、自分の能力以上の事を、無責任にも語ったのであり、せん越にも、不遜にもそれを語ったことになるのである。そのようにするよりは、何も語らない方がまだ良いのである。