真のクリスチャン達よ、あなた方は真の神エホバに必死に見習ってください。あなた方は互いにエホバに従うのに、のんびりとぼちぼちやろうと言ってはならない。なぜなら、真の神エホバは私達を救うのに必死だからです。真の神エホバは私達を救うのに、のんびりとぼちぼちしてはおられないからです。神はあなた方を火の中から救い出そうとしておられるからです。あなたの家が火事で、家の中にいる私達を外から入ってまで火の中からつかみ出してまで、真剣に助けてくれる人などいるでしょうか。神は真剣なのです。ですから、あなた方もエホバに見習うことに真剣になりなさい。もはや、時間が尽きてしまうかのようにエホバに対して死なんばかりになりなさい。そうすれば、あなた方の日々の心配事は皆、消え去ります。なぜなら、神はご自身に必死に従う人達に対し、神ご自身に従わない人達より強いからです。神はご自身に対して必死な者がよろめかされるのを決してお許しにならないからです。あなた方がもし、神に対して常に真剣な態度を取らないなら、あなた方の日常の心配事も無くならないからです。あなた方は神を愛するように、他の人々に対して、常に真剣でありなさい。相手を真剣に愛し、進んで協力し、思いやりを示し、相手を常に敬いなさい。そうすれば、神は必ずあなたを救ってくださいます。
高田義裕の人生論
欲望を叶えることが自由なのでは無い。それではただの欲望の奴隷である。自分にとって苦手な事を得意にすることこそ、真の自由であり、自分にできなかったことをできるようになる事こそ真の自由であり、自分の欲望を制御できるようになる事こそ真の自由なのである。すなわち、自分を超越できることこそ真の自由なのである。我々は欲望の奴隷ではなく、自分の欲望を制御する自分に対する主人でなければならないのである。
高田義裕の人生論
叶わぬ恋こそ、永遠の命。遂げられた恋は、いずれは朽ち果てていくが、叶わなかった恋には永遠性が宿る。人はいくつになっても、その異性への憧れを抱き続け、以前は苦しかった感情も、今では良い思い出に代わり、たとえ、歳をとっても、あの頃の青春を美しく思い出すことができるからである。
高田義裕の人生論
さあ、今日は世界中の皆さんに、これから近い将来、全人類に起こる世界情勢を示そう。
1,何の前触れも無く,突然、全世界の諸国家が国際連合を支持する。それにより、国際連合は非常に強力な権力をもって全世界を統治するようになる。
2,世界中に向かって、世界は平和だ、安全だ、という宣言が成される。
3,国際連合が世界中のすべての宗教に対して、宗教廃止令を発動する。そして、世界中のすべての人間にその右手か、額に国際連合に服従する証として、マイクロチップを埋め込み、印を付けさせる。そうして、宗教を頑なに続ける者達に対しては、徹底的に弾圧し、物を売り買いできないようにさせ、生活できないようにさせる。
4,そして、世界に今まで起きた事の無い様な世界的大艱難が起きる。
5,真のクリスチャンは頑なに神に対する信仰を止めない故に、全世界の人々から迫害を受ける。
6,ハルマゲドンで神エホバは世界の全体制を強制的に終わらせる。
7,すべての人類は神エホバによって滅ぼされ、遂に神の王国が到来する。そして、それは永久に続く。
高田義裕の人生論
思考停止こそ、最大の偶像崇拝である。人間は永久に絶対的価値を手に入れることはできない。もし、人間が最高を手に入れたら、もはや人間は働く必要も考える必要も、目標を持つ必要も無くなるからである。これこそが神エホバの禁じられた木の実なのである。人間がすべてを持ってしまったら、すべての人間はすることが無くて、怠惰になってしまうのである。よって、我々は永久に考えることを止めてはいけない。また、永久に働くことを止めてはいけない。また、永久に夢を持ち続けて前進し続けなければならないのである。これこそ、聖書の言う人間にとっての永遠の命である。
高田義裕の人生論
安心しなさい。落ちるだけ落ちたら、後は上がるだけである。気を付けなさい。上がるだけ上がったら、後は落ちるだけである。
高田義裕の人生論
人間には闘争本能がある。
人間とは、争いを好む。誰しも本心では平和を望んでいる。しかし、自分の利益となる事に障害が及ぶと、とたんに怒り出す。すなわち、本性を剥き出すのである。すなわち、自分の利益と相手の利益が一致している前提で平和を望んでいるだけなのである。それは本当に平和主義者とは言えない。真の平和主義者とは、たとえ自分が不利になろうとも、平和を優先する者であるからである。もし、平和になる事で、あなたの貯蓄が減るとしたら、あなたはそれでも平和を望むだろうか。もっと言えば、あなたは自分の命を犠牲にしてまで平和を愛しているか、という事である。そうでは無いだろう。平和とは、自分の命が安全である事の定義であり、本来、自分の命を犠牲にしてまで守る平和など無いからである。要するに、平和は人の数だけあるという事である。すなわち、各々の平和の意味とは、各々の利害の一致に他ならない。よって、すべての人間の利害が一致して初めてみんなが仲良くなれるのであり、各人の利益は個性が違う分、すべて一致するはずが無いのである。すなわち、すべての人が平和になるなど、論理的にあり得ないのである。戦争とは、自分の命が脅かされた時、自分の命を守るために戦う命を懸けた戦いであるからである。私達にとって命がすべてならば、それを守るための戦争は無論、正当化されてしまうからである。これこそ戦争が決して無くならない原因の1つである。よって、人間とは、元々ばらばらな生き物であり、元からまとまれないのである。たとえ、奇跡的に全人類に平和がもたらされても、それは決して長続きしないだろう。例えば、西暦2025年の現在、全世界に平和が訪れたとしよう。しかし、人間とは、再び些細な事で喧嘩を始めるのである。昔は自分の命を守るために人は戦争をした。遥か未来の人間は驚くだろう。昔の人はなんと忍耐強かったのだろうと。我々未来では、相手の服の柄が気にくわないだけで戦争をしているのに、と。このように、人間とは、争う理由が無くなれば、自分達で争う理由を新たに造り出してまで争う生き物なのである。
高田義裕の人生論
真の美しさとは何か?
ある顔が醜い2人の女性がいた。彼女達はお互いの醜さを罵倒し、非難し、罵りあった。しかし、ある時、彼女らよりも醜い1人の女性がやって来て、2人の事を自分よりもましな事を褒め、その良い所を指摘し、慰めた。2人は自分達より遥かに醜い女が自分達の事を褒めてくれた事にびっくりし、お互いに喧嘩し合っていたことを恥じた。それで、彼女達3人は皆、心を開き、非常に仲の良い友達同士となった。これこそ真の美しさである。また、大勢の女性の中でとびきり美しい女性がいた。彼女は自分の美しさにうぬぼれ、傲慢になり、次々と男遊びをしては離婚を繰り返した。これこそ真の醜さである。
高田義裕の人生論
芸術とは何か?
芸術とは何か?それは、汚い欲望を冷めた理性の目で昇華する事である。ポルノは宗教的に人に影響を強く及ぼす害悪であり、決して触れてはならないタブーであるのに対し、ここで一度、目線を変え、ポルノを芸術的と言えば、それは多くの人を強く惹き付ける大いなる力である。すなわち、ポルノを見てマスタベーションして処理してしまうのは、単なる欲望の発散でしかないが、例えポルノを見ても、その欲望に抵抗し続ける力こそが芸術であり、美しさなのである。すなわち、強い欲望を自制によってコントロールし、たとえ、それをしたくてもそれをしない抵抗する力こそが生命そのものであり、生命の起源なのである。なぜなら、人間は誰でも自制し、忍耐し、辛抱することによって、価値あるものを生み出す事ができるからである。よって、芸術とは、遥かに高次元な精神の高潔な活動そのものである。
高田義裕の人生論
トップダウン方式
世の中の変え方
遥か未来でもって、遥か過去をすり替えてしまえる。私が囲碁、将棋の様にこの世界の根源まで100歩さかのぼってこの世界全部を塗り替えたとしても、私より遥か未来の青年が、私よりも1000歩さかのぼってこの世界をさらに塗り替える事ができる。よって、すべては将来いかんにかかっている。すなわち、未来によって過去を無限にすり替えられるという事だ。なぜなら万物の根源は、無限に続いており、終わりは無いからである。すなわち、現在の我々の世界は、遥か未来の人間が考え出して意図的に仕組まれたものに過ぎないかもしれないからだ。
