高田義裕の人生論

今日の箴言

1.どんなに努力しても才能が無ければそれは開花しない。またどれだけ才能があっても努力しなければ開花しない。

2.すべては努力することだ、とよく言われるが、確かにある程度までの努力は必要であるが必要以上の努力は無駄である。人間は生まれながらに天賦の才を与えられている者のみが努力して初めて成功するからである。

高田義裕の人生論

なぜ人間はあらゆる問題を解決できないのか。それはすべて良いところだけを抽出できないことに尽きる。すなわちどんな良いと思える方法を考え出せても、必ず非予測的要素がついて回るからである。すなわち副作用が出るのを防ぎきれないのである。ここで副作用とはどうゆう状況を言うのか具体的に考えてみよう。まず目の前に新聞がある。あなたは自分の読みたい記事の部分だけを切り取るとする。そこまでは良かったのだが、新聞には当然裏側にも記事が書かれてある。それを裏返してみると全く読み取れない文の部分がどうしても出てきてしまう。これこそ副作用の生まれる原因である。よって良いところだけを抽出するということは、新聞で例えるなら表も裏も全く同じ文章が書かれている箇所を切り取ることに相当する。しかしそんなことは到底不可能なことである。それで人間は物事を決して解決できないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

誰もが生活していくために仕事をしている。仕事をしている人には容易に察しがつくように、仕事とは辛いものである。それには専門的知識と高度な熟練の技がいる。すなわちそれはプロフェショナルであり、その分野でのエキスパートであるわけである。しかし、大半の人は自分はプロフェショナルなレベルにはなれないと感じている。しかしあなたという存在はこの世でただ一つの存在なのではないだろうか。すなわち、自分は自分自身という存在のプロフェショナルなのである。あなたは見事な専門的知識と、高度な熟練の技とをもって自分自身という商品を形作っているではないか。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.何もしないことは失敗することより悪い。

2.その人に不満を抱くということは、それだけ相手に期待を抱いていたことの証拠である。

3.もしどうしても誇れと言われるなら、私は自分が決して誇らないことを誇ります。

高田義裕の人生論

今日の箴言

日本国憲法には基本的人権の尊重としてすべての人間は生まれながらにして自由に生きる権利を持っていると定めている。しかしそれは本当にそうなのであろうか。自由に生きる権利というものは、お金に例えることができよう。お金は一生懸命ひどい思いをしなければ手に入れることは出来ない。決して生まれてきたという理由だけでただで貰えるものではない。ましてや人間が自由に生きていくということは、お金よりも貴重で手に入りにくいものなのである。お金と同様に、いやそれ以上に戦い抜いて初めて勝ち取るものなのである。例えれば、破船した船に10人が乗っているとする。しかし残された食糧はわずかで、もう3人分しかないとする。当然の摂理としてその10人は命をかけてそれを奪い合おうとすることであろう。よって自由もただで与えられているものでは決して無く、激しい生き残りをかけた戦いによって相手から奪い取るものなのである。そうだ、人間は人間を犠牲にして初めて生きていけるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

ある人は言った。私はただの紙切れで人を殺すことができる。それを聞いた人達は皆あざ笑ってそんなことができるはずがないと言った。それに対して彼は言った。あなた方は皆、毎日ひどい思いをして働いているのではないですか。それは何のためですか。お金を手に入れるためです。あなた方はそのお金という単なる紙切れでできたものを得るために毎日残業をし、体と精神をすり減らして仕事のせいで病気になったり、働き過ぎで死んでしまうこともあるのです。そんな紙切れよりも人間の方が遥かに価値があるのではないですか。ところが実際にはその貨幣というもののためにそれより価値のある人間が奴隷の様に扱われ、使い捨てされているのです。何と本末転倒で理不尽なことではありませんか。これこそが私が紙切れで人を殺すことができると言う理由です。

高田義裕の人生論

こんにちは。初めまして。私は命の書の著者でもある作家の高田義裕と言います。今日からいろいろな視点で私達の人生について語っていこうと思います。私の文章の特徴は、短いのもあれば長いのもある箴言集的形式です。それでは今日第1回目の箴言をご紹介しましょう。

1,よく人は、他人の悪口を言う。それも自分より優れた人に対する悪口ならまだ良いが、決まって自分より劣った者や自分より愚かな者に対する侮蔑の批判である。これは一種の自己顕示的行動であろう。人は自分より下だと思っている人をけなすことによって自分はそうじゃないと自分に言い聞かせ、偽善的な優越感を得たいのである。しかしあなたはそうであってはならない。なぜなら彼はあなたにとって脅威となるようなライバルでは決してないからである。その意味で彼は決してあなたの敵ではないのであり、あなたを落としめる人間では無い意味においてむしろ味方であるからである。あなたにとって一番怖いのは自分より仕事のできる人間であり、あなたの存在を脅やかすライバルではないだろうか。まさに彼らこそあなたの敵なのであり、決してあなたより能力が低いと思っている人に対する悪口を言ってはいけないのである。今あなたのなすべきことは、自分より上だと思っている相手に対して批判できるほどになるまで努力し、彼に追いつき、そして追い越すことにあるのである。

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