高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、他の人の行う悪行を見て、ただ単純に激しく憤る必要は、全く無いこと。本人は、ズルをして、さも上手くやり通せた、と得した気分になっているかもしれないが、実際には、それに対する悪い報いを既に全部受けているからである。例えば、彼は、人からお金を借りて、後でちゃんと返すと言っておきながら、ずっとそれを返さずにいて、返すのをうやむやにしようとしたとする。しかし、お金を貸した側は、彼が一向にお金を返さないのをずっと覚えており、二度と彼にはお金を貸したくないと決意する。彼はそれを決意するだけでなく、本人には知らせずに、周りの友達に彼は借りたお金も返さない優柔不断な男だと吹聴する。それを聞いたある友が、たまたまお金を返さない男の親友だったとする。彼はそれを聞いて、密かに彼と仲良くするのを止めようと決意した。そこで、お金を返さない男が、その親友に親しげに話しても、もうその親友は、心の中では、彼を避けていて、表面的には親しい様に見せかける。実は、彼がお金を返さない事を聞く以前には、彼はその男にガールフレンドを紹介してあげようと思っていたのだが、それも止める事にした。これによって、その男は以前からガールフレンドを持ちたいと思っていた願望が、自分のそのお金を返さないと言う悪行の故に、叶わなくなったのである。この様に、人は巡り巡って自分の知らないところで自分の過ちの故に、損失を被ることになるのである。よって、すべての人は、自分の行いの当然の報いを既に全部受けているのである。

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