高田義裕の人生論

各地で地震が起きている。日本人や他の諸国の人々よ、あらゆる災害の故に、事前に防災グッズを用意せよ。ここまで世界中で地震や洪水や台風が同時期に起きた歴史は無い。すぐにあらゆるドラッグストアや商品を売る販売店などは、すぐに使える防災グッズを常備、販売して置くように。そして、すべての国々の国民や市民は、いつ、地震災害や他の自然災害が起きても最低でも、10日は持つような三種の神器を用意して置くように。現代の三種の神器とは、水、食料品、医薬品の事である。もし、事前に防災グッズを用意しない者は、いざ、災害に見舞われた時、命を失ったり、負傷をしても、自己責任と言われて、他の人から同情されなくても仕方ない事になるからである。まさにこの全世界はこの時から平和は取り去られたからである。よって、今からでもすぐに防災グッズを常備して置くように。なぜなら、これから、アメリカの連合国側と共産主義、ロシア側連合との間で世界的規模で戦争があるからである。アメリカ連合とロシア連合とは、互いに押し合いへし合いして、どちらが勝つか予測出来ない拮抗状態となるであろう。戦争が原因で、世界のあちらこちらで食料不足があり、商品棚から、物は消えるであろう。よって、繰り返すが、今のうちに現代の三種の神器を備蓄せよ。それによって、あなた方の命を生き永らえさせる為である。私には、既に多くの戦車が砂漠地帯を登って行く光景が見えている。よって、人によって、最も安全な事は、日頃から、善行を行い、他の人に親切にし、淫行、姦淫を避けていること、酒に溺れないこと、偶像崇拝を避けていること、何より、唯一、本当の神エホバを畏れて、神の御意志に調和した私生活を送り続ける事に勝る身の守りの術は無いのである。

高田義裕の人生論

すべての人に言う。人よ、決して相手に対して怒らず、その人の事について辛抱強く接しよ。そうして、たとえどんな人に対しても、その人の命を尊重せよ。たとえ、それがどんな犯罪を犯していようとも。なぜなら、彼は犯罪者である前に一人の人間なのであるから。

高田義裕の人生論

人は誰もが皆、自分の栄光を求めている。自分の栄光を捨てよ。そうして神エホバの栄光を求めよ。自分自身に頼るのをやめよ。そうして真の神エホバに頼るのである。そうする事によって、自分の栄光を失う代わりに、神からの決して揺るがぬ平安と安定と平和と安全を人は得る事になるのである。要するに、人は自分の栄光を得る代わりに、自分の安定と安全と平安と平和を失う事になるのである。

高田義裕の人生論

日本語で病気は、病みと言い、(やみ)と読む。日本語で暗やみは闇と言い、(やみ)と読む。病みと闇は同じ意味であり、キリスト教で言う光は神であり、闇は罪である事から来ているのである。すなわち、病みは闇から出ており、人間が光の源である神から離れた罪こそが闇の行為なのである。すなわち、あらゆる病気の原因は神に反逆した罪の精神、すなわち、心のゆがみから生じているのである。よって、あなた方、医者達はあらゆる病気を治そうと、あらゆる物理的療法を試してはいるが、決して物理的療法で病気を治すことはできない。西洋の現代医学は、物理的療法であり、物理的療法である限り、決して病いを治すことはできない。病は気から、というように、病は正しい神からの違反という倫理的問題から、生じており、倫理的問題は倫理的に解決しなければ、決して解決しないのである。よって、すべての苦しみの根本原因である病み(闇)は宗教によって、救済されるしかないのである。すなわち、どんな先端医療技術を開発しようが、最新の進化論の理論を提唱しようが、人間の理性ではこの世界にはびこる犯罪や苦しみや苦痛は解決できないのである。すなわち、人間の理性が生み出した科学(サイエンス)には限界があるということである。すなわち、科学万能の時代は当の昔に終焉しているのである。

高田義裕の人生論

普通の男は、普通の女を求める。できる男はできる女を求める。さらにできる男は自分よりさらにできる女を求める。本当にできる男はできない女をできる女にすることを求める。

普通の人は自分の働いた分を得て喜ぶ。。優れた人は自分の働いた以上の分を稼いで喜ぶ。本当に優れた人はただ他の人に与えることを喜ぶ。

高田義裕の人生論

たとえ、どんな神であっても、働かなくても食わしてくれる神などいない。

高田義裕の人生論

人間にとってどうして神は必要不可欠なのか?

どうか、水面ギリギリまで溜まった水の入ったコップを想像してもらいたい。それにあと、ほんの一滴の水滴を入れただけでも、水がコップからこぼれ落ちてしまう。これと同様に、我々の住むこの全世界もあらゆるすべての要素で満ち溢れている。すなわち、あなたのちょっとした振る舞いも、全世界、全宇宙に影響を及ぼすという事である。例えば、あなたが小さく息を吐いただけでも、それだけで全宇宙の果てまで瞬時にしてそれは伝わる。そう、どんなに小さくて僅かな動作であっても、全世界は満タンで溢れ返りそうな水の入ったコップの様であり、あなたの振る舞い方次第で世界全体の成り立ちが大きく変化してしまうのである。よって、我々人間には、自分が今した事がその後、全世界にどういう結果を及ぼしてしまうか分からないのである。すなわち、自分がした事の原因によって、将来的にどうなるか見通すことが出来ないからである。我々人間が見通せるのはどれだけ頑張っても、今日の事までであり、我々は明日どうなるかも知らないからである。しかし、神は違う。神は全知全能なので、すべての事を見通すことができ、瞬時にすべての事が将来どうなるかを見通すことがお出来になるからである。よって、人間は自分がした事がその後、どうなるか予測出来ない事において全く無知なのである。すなわち、人間は自分で自分の人生を導けないのである。よって、人間が、失敗すること無く無事、順調に生きていくためには、全知全能である神からの教育と指導と導きとがどうしても必要不可欠であるのである。