高田義裕の人生論

今日の箴言

人々はこれを聞いて驚くかもしれないが、物事の本当の事情を述べると、この世の中にある、ありとあらゆる苦しみや悲劇の原因は、人間が自分達の欲望のままに、全く好きにしていいのに、人間の能力がそれを十分に自分の欲望のままに好きに出来なかった、という事に尽きるのである。要するに、神から何かを禁じられていて、その掟を破ったから、人間は罪を犯して罪人になったのでは決して無いのである。初めから神は、人間のする事に何の制限も求めていない。むしろ、制限を求めたのは、人間の方なのであり、勝手に自分達が、私達はこれをしてはいけない、これをしたら、罪を犯す事になるなどと決めつけて行ったのである。これによって、本来ならどんな事をするのも自由なのに、それをしなかった事において、人間は罪を作ったのである。人が病気になる原因も同じ理由である。もともと人間の体は健康そのもので、何をしてもそれに対応できる程の潜在的エネルギーを秘めていたのに、人間は自分達の体を使う事に対してさえ制限を設け、十分に自分達の体を使わなかったせいで、病気になったという事である。これは例えれば、物凄いパワーを持つスポーツカーがあったとして、それを所有者が十分に使って、そのパワーを最大限にまで引き出してやれば良かったのに、何とそのスポーツカーをキズつけたくないばかりに全く乗らずに車庫の中に置いたままにしたのである。当然その車は全く自分のエンジンを稼動させていないから、何十年と経つうちに、エンジンオイルも腐り、エンジンも錆び付いて壊れてしまったのである。これと同様に、人間も自分自身の持つ無限の潜在能力を最大限まで引き出してやれば良かったのに、何とそれをもったいぶってほとんど使わなかったのである。これにより、人間はいろいろな深刻な問題を自ら生じさせてしまったのであり、現在もそうなのである。すなわち、罪とは、それを罪と信じ込んでいる心の事なのである。この思い込みが人類の心に凝り固まってしまった為に、私達はあらゆる事柄を苦しみとしか感じ無くなってしまったのである。要するにすべての問題の原因は心にあるのである。

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