高田義裕の人生論

今日の箴言

大都市ニューヨークに豪華で立派な建物のホテルがあった。そこは世界中から政治家やハリウッドスターや大富豪達が泊まる場所であった。そしてある時、1人の大富豪がそのホテルのぴかぴかに光った大理石のロビーを歩いていた。彼は今日、大事なビジネスの件でこのホテルのVIPルームで取引先と会合し、自分に非常に有利な商売の取引を成功させたばかりだった。彼は有頂天でロビーを歩いていたのだが、ロビーの隅にあるトイレにふと目をやると、そこには年老いた1人の清掃員がトイレを掃除していた。それを見て彼は、こんなお年寄りになってまで汚いトイレ掃除をして安い賃金で貧しく生活しなければならないのかと思い、彼を不愍に思い哀れんだ。そしてそれと比べて自分はいかに素晴らしい身分にいるのかと改めて感じ、心の中でひそかに清掃員に対して侮蔑感を感じながら自分に対しては優越感を感じた。どうであろう読者よ、このホテルの中で一番偉いのは誰であろうか。このホテルの支配人であろうか。それともここに泊まりに来る彼の様な大富豪達であろうか。いや決してそうでは無い。このホテルの事を隅々までよく知っているのは、あのお年寄りの清掃員であり、ロビーの大理石をぴかぴかに磨いたのも彼であった。彼は誰も目の届かない細かな部分まで毎日綺麗に掃除をしており、その部屋の使い方でその泊まった人間の人格的レベルを把握する事が出来たほどだ。彼の頭の中では、この世の中で有名で世界中から脚光を浴びているVIP中のVIPほど部屋の使い方が汚くて散らかしてある傾向を知っていた。それでも彼は文句1つ言わずに黙々と掃除を続けた。そうである、彼のお陰でこのホテルの綺麗さは保たれており、その綺麗な床を歩く者は彼のお陰で優越感を抱いているのも同然であった。実際、自分が掃除したソファーや椅子にVIP達が何も気にせずに座っておしゃべりしたり、安楽そうに寝転がっているのを見ると、彼らはまるで彼の手の中にある赤子の様であった。そう、その清掃員の目で見たら、お客のすべてが自分が掃除した所を自慢気に歩いているのが、彼にとっては自慢なのであった。こうして華々しい立場にある人達よりも、普段から全く目立たず、影で汚くて卑しい仕事をしている人間達こそ本当に偉大なのである。

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