高田義裕の人生論

今日の箴言

(題名)     神という最後の砦

あなたは職場で大きなミスを犯してしまった時、職場の上司にこっぴどく怒られた経験があるであろう。しかし、その時普段から仲良くしている職場の同僚が仲介に入ってくれてあなたがミスを犯した後の後始末を手伝ってくれた。しかし、ある時その、仲の良い同僚と仕事の事で喧嘩をしてしまい、それが原因であなたは仕事を辞めてしまった。そこで無職となり、あなたは昔からの友人に助けを求めた。友人は快くあなたの為に新しい職場を紹介してくれた。あなたは友人に感謝してその仕事に就いたが、その職場の同僚があなたと馬が合わず、その同僚から嫌がらせを受けた。それが原因であなたはその職場を退職した。それでその仕事を紹介してくれた友人にその事を話したところ、彼は呆れ返って、2度と君に仕事は紹介出来ないと言って断られた。あなたはもはや自分の親にその事情を説明して助けて貰うしかなかった。あなたの親はあなたの事情を察してくれ、あなたが無職でも、次の仕事が見つかるまでしばらく経済的に助けてくれた。しかし、次の仕事はなかなか見つからなかった。それであなたの親はしびれを切らしてあなたに、仕事をしないなら出て行ってくれ、私達も自分を養うだけで精一杯なのだ、と。そしてあなたは実家を出るしか無くなった。どうであろう。あなたという人間をどんな状況にあっても助けてくれる人間はどこにもいないのである。あなたの親でさえあなたを見限ったのである。あなたの仲の良かった同僚も昔からの親友も、はたまたあなたの親も救ってくれるのには限界があるという事である。しかし、真の親であり、父がいる。それは神であり、あなたの神はたとえあなたが犯罪を犯して刑務所に入れられてもあなたの事を気遣って下さるのである。神からの助けとは人間と違って限界というものが無い。あなたの弱さや限界もよく理解しているし、どんな時にもあなたを守って下さるのである。すなわち、人間にとって最後の救いの砦は神なのである。この神にさえ見限られたら人間にはもはや救いは無いのである。よってこの世の中の事物の体制の終わりの時、ハルマゲドンにおいて神による最後の審判が執行される時、それでも神に反抗する者はもはや滅ぼされてしまうのである。なぜなら、どんなに悪い事をしている人間に対してさえも、その人の事を助けてくださっていた神にあえて反逆するという事には、もはや同情の余地は無いからである。

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