高田義裕の人生論

今日の格言

若い時の苦労は買ってでもしろ、とよく言われる。その言葉は真実である。人は自分の若い頃から、すなわち、まだまだ気力も活力もある、物覚えの良い時に努力すれば、年をとった時、その若い頃にした苦労が報われるからである。しかし、逆に若い頃から楽していると、何も見につかずに年だけとってしまう。そして40代くらいから、それまで楽してきたツケが回ってくるのである。そう、年をとってから苦労しても、その苦労はただ苦しい思いをするだけで、何も報われない苦労になってしまうのである。年をとってから、いざ頑張ろうと重い腰を上げても、体がついていかず、物事も物覚えが悪くてなかなか見につかない。そのため、他の人からいい年をしてそんな事も出来ないのか、と罵られ、自分の苦しみを理解してくれ、同情してくれる人は誰もいないからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

倫理の等価交換の原理は間違っているのか。

この世の中、大した労働もせずに楽してお金を貰っている者もいれば、大変苦労して、毎日戦場のような忙しさで働いて、ようやく僅かな賃金を貰っている者もいる。これは不公平ではないか。倫理の等価交換の原理とは、人は骨折った分だけ利潤を得られるというものではなかったか。すなわち、楽している者は後で苦労し、苦労している者は後で楽出来るというものである。しかしこの世の中を見渡して見るとそんな単純な状態には決してなってはいない。だが、確かに言える事は、楽して得たお金というものは何の価値もないという事である。すなわち、同じお金でも、苦しんで得たお金が初めて価値があるのである。要するに社会全体を見渡して、お金の流れというものは、苦労して得たお金が社会を動かしているのである。世の中には全く動かないお金、すなわち、価値のないお金が99%を占めている。この価値のないお金とは、大金持ちの銀行の中に眠ったままの現金である。すなわち、世の中には出て行かないお金であり、世の中全体はたった1%のお金で動いているのである。これは例えれば、全世界のお金が1000兆円あったとして、その999兆円は、眠ったままである。残りの1兆円だけで人口70億人を養っていけと、この世の中の支配者が決めたのである。たったの1兆円を70億人が奪い合いをするのだから、当然仕事は大変きつくなり、修羅場となる。そのほとんどは奴隷となり、ただでこき使われる。これが全世界の経済の仕組みであり、世の中全体の仕組みが既に不公平であり、悪なのである。すなわち、楽している富裕層の働かないで貰う価値のないお金のツケを最下層の民衆及び、奴隷が過酷な労働で望まない形で価値のあるお金でそれを穴埋めしているのである。要するに価値のないお金とは、何もせずに999兆円貰う事に等しく、価値のあるお金とは、建物を建て、掃除をし、野菜を作り、製品を製造し、介護し、命を助け、運搬し、ありとあらゆる仕事を全部こなして、やっと1兆円貰う事なのである。この過酷労働によって初めてお金は価値を与えられていると言える。要するに倫理の等価交換の原理は世の中の支配者によって強引にねじ曲げられているという事である。こんな間違った世の中の仕組みは、いつまでも続きはしない。なぜなら、自然の摂理である倫理の等価交換の原理に逆らっているからである。よって、いずれ必ずこの世の中の不正な経済の仕組みはそのツケを払わなければならず、神の預言する人類の大患難という形で瞬く間に押し流されてしまうのである。