高田義裕の人生論

今日の格言

努力して頑張った分だけ報われるべきなのは正しい事なのか。例えば仕事でも、自分が心底苦労して成果を上げたのにそれを会社側があまり評価してくれなかったらどうであろう。こんな会社はいずれ潰れると思って会社を辞めるだろうか。確かに辞める人は辞めるだろう。しかし、果たしてこの世の中に心底努力して仕事を頑張る人など稀な例では無いだろうか。そう、大半の人間は生きていくために働かなければ食べていけないから、仕方なく働いているのが本音では無いだろうか。もし頑張った分だけ報われる会社があるとすれば、社内での日々の行いを逐一観察され、どんな些細な事でも点数をつけてくるだろう。そして毎年毎年到達できそうに無い無理な目標を立てて頑張らなければいけなくなるのであり、もしそれを達成できなかったら、どうして達成できなかったのか理由の報告書まで書かされるだろう。そして遂には戦力外として会社を辞めねばならないように仕向けてくるであろう。そんな会社は私は決して行きたいとは思わない。まるで全部監視されて非常に居心地が悪いからだ。もしそう遠くない将来、人工知能(AI)が会社の社長にでもなったら、私達は全員クビであろう。そんなくらいなら頑張ってあまり評価されなくてもクビにもならず、ずっと働かせてくれて給料をくれる会社の方がよほどマシだし、万人向けの会社だろう。そうなのだ。頑張った分だけ評価されるという事は、それだけ毎日自分の仕事ぶりが厳しく見られるという事であり、頑張ってもあまり評価されないという事は、それだけ毎日自分の仕事ぶりを厳しくでは無く、大目に人情味的に見守ってもらっているという事だ。そう、大体が人間などという生き物は本来怠け者なのであり、生き物だったら誰しも楽して生きていたいはずなのである。そう考えると、努力して頑張った分だけ報われるという論理も一見正しくは見えても、大半の人間のからすれば、ありがたい考え方では無いのである。すなわち人間向きでは無いと言って良い。現代社会は無駄を徹底的に廃しコストを下げ、効率ナンバーワンを目指す会社が最後に生き残れるなどとよく言われるが、結局人間が社会を形作っている以上、人間がすべて人工知能(AI)のようにならなければならないのかと言うとそうでは無いのである。すなわち効率ナンバーワンという考え方も現代特有の神話であり、すべてにおいて通用する普遍的真理では無いのである。

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