高田義裕の人生論

今日の格言

人間にとって、何事も命より優先すべきものはない。よって、もし、仕事をする時、それが命より仕事が優先される時、その仕事は悪である。また、遊ぶ時、それが命より遊びが優先される時、その遊びは悪である。また、楽しむ時、それが命より楽しみが優先される時、その楽しみは悪である。よって、何が正しくて何が悪いかを判断する基準は命より優先すべきものはない、という判断である。それでは、ものすごく貧しくて、明日食べるものもない故に自分の命を支えるため、自分の命を犠牲にしてでも働く場合はどうか。これは矛盾している。命を守るために命を犠牲にするからである。すなわち、命より命が優先される時、その命は悪であるか。これを命のジレンマと言う。これは空腹のあまり、自分の腕の肉を食う様なものである。しかし、ここで、自分で自分の体を全部食う事は出来ない。なぜなら、全部食う前に私達は自分の命を落とすだろう。よって命のために完全に命を犠牲にする事は出来ないので、結論として、命を命より優先する事は出来ない。よって命より優先すべきものはない、という論題の中に、命は入らない。しかし、実際、我々は貧しさ故に自分の身を削ってまで働いて自分を犠牲にしている。すなわち私達は常に、命のジレンマの狭間で揺らめいているのである。そう、生きるとはそれ自体、矛盾なのである。それで、命より命を優先しているという事は、我々は命以上の存在である事を示している。すなわち、命より優先すべきものはない、と仮定して思考を広げていくと、我々は命以上のものであると結論付けられてしまうのである。よって命は命によって支えられているのではなく、命は命以上の存在によって成り立っている事が分かる。よって我々のこの世界には、命より優先すべきものがあるという事である。すなわち、結論として、何が正しくて何が悪いかを判断する基準は、命より優先すべきものはないという判断によって、命より優先すべきものがあると判断する事が出来るのである。

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