高田義裕の人生論

今日の格言

人間にとって、何事も命より優先すべきものはない。よって、もし、仕事をする時、それが命より仕事が優先される時、その仕事は悪である。また、遊ぶ時、それが命より遊びが優先される時、その遊びは悪である。また、楽しむ時、それが命より楽しみが優先される時、その楽しみは悪である。よって、何が正しくて何が悪いかを判断する基準は命より優先すべきものはない、という判断である。それでは、ものすごく貧しくて、明日食べるものもない故に自分の命を支えるため、自分の命を犠牲にしてでも働く場合はどうか。これは矛盾している。命を守るために命を犠牲にするからである。すなわち、命より命が優先される時、その命は悪であるか。これを命のジレンマと言う。これは空腹のあまり、自分の腕の肉を食う様なものである。しかし、ここで、自分で自分の体を全部食う事は出来ない。なぜなら、全部食う前に私達は自分の命を落とすだろう。よって命のために完全に命を犠牲にする事は出来ないので、結論として、命を命より優先する事は出来ない。よって命より優先すべきものはない、という論題の中に、命は入らない。しかし、実際、我々は貧しさ故に自分の身を削ってまで働いて自分を犠牲にしている。すなわち私達は常に、命のジレンマの狭間で揺らめいているのである。そう、生きるとはそれ自体、矛盾なのである。それで、命より命を優先しているという事は、我々は命以上の存在である事を示している。すなわち、命より優先すべきものはない、と仮定して思考を広げていくと、我々は命以上のものであると結論付けられてしまうのである。よって命は命によって支えられているのではなく、命は命以上の存在によって成り立っている事が分かる。よって我々のこの世界には、命より優先すべきものがあるという事である。すなわち、結論として、何が正しくて何が悪いかを判断する基準は、命より優先すべきものはないという判断によって、命より優先すべきものがあると判断する事が出来るのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

人としてのあり方

人は、自己達成を目指すのでは決してなく、人は、自己確立を目指すのである。なぜなら、自己達成は、人の外側にあるものであるのに対して、自己確立は人の内面にあるものであるからである。もし、あなたが誰かからプレゼントをもらった時、プレゼントの箱が非常に大きいものをもらったとする。そしてどんなものが入っているか楽しみにして開けてみると、なんと中身は何も入っていなかった。これを見てあなたはどう思うであろう。騙されたと思うに違いない。また、あなたは別の人からプレゼントをもらった時、非常に小さなプレゼントの箱をもらったとする。あなたはプレゼントの箱が小さいので、大したものは入っていないだろうと思って箱を開けてみた。するとそこには金でできた高級腕時計が入っていた。あなたは当然びっくりする。なぜならその腕時計は時価1000万円を下らないものだったからである。この様に自己達成は人から見える外面ばかりを磨き上げ、大きく見せるのであるが、その代わりに中身は何もない空っぽなのである。しかし、自己確立は人から見える外面は小さく、地味で粗末なものであるが、その代わり中身は貴重なものがたくさん詰まっているものなのである。すなわち外見が良く見える人ほど内面は空っぽなのである。また、本当に立派な人ほど見た目には地味なのである。よって人を外見の良さで判断してはいけない。人間にとって一番大事なのは、私達の目には見えない心の状態だからである。