高田義裕の人生論

神学序説

真のクリスチャンにおいて、神に救われたいという事はどういう事を言うのであろうか。それは単に神の裁きであるハルマゲドンから救われたいとか、その後の楽園で永久に生きて人生を楽しむために救われたいとかという意味では決してない。もし、それがあなたにとって救いの意味の大部分を占めているなら、あなたは決して救われないであろう。正に真の試みがあなたに及んだ時、あなた自身がそれを放棄する事になるだろう。本当に救われる者とは、あくまでも楽園とか、永遠の命とかが主要な目的では決してない。そのようなものは二の次であるのである。真の救いとは、まず何よりも神を愛し、神に絶対の信頼を置いているという事に他ならない。すなわち、何を犠牲にしようとも、常に喜んで神の御意志を優先する態度の事である。そして、自分のこのどうしようもない存在の虚しさと邪悪な傾向、そして、自身の無価値さに対して深く悔い、嘆き悲しみ、何とかこの惨めな自分を神を通して許していただきたいという、その一念のみに尽きるという事なのである。

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