高田義裕の人生論

数学的背理法の誤り

数学における問題の解決の仕方に背理法がある。しかし、私に言わせれば、数学的背理法はその根本から間違っている。例えば、背理法とは、ある命題を証明するときに、まず、Pで無いと仮定して推理していくと、矛盾に突き当たる。よって、矛盾はあり得ないから、答えはPである、と言うものである。しかし、それは、否である。世の中には、Pで無ければ、かつ、同時にPである、という状態など、無数にあるからである。すなわち、Pで無く、かつPである、という矛盾を包含する(同時に満たす)集合Qが存在するからである。例えば、我々、人間の人生とは、何が起こるかは、皆目見当も着かない。今、生きていても、明日は死ぬかもしれない。それで、人間の人生観に対する正しい姿勢は、世の中はもうすぐ終わるかもしれないが、また同時に、自分の人生は、まだこれからである、と思うことにあるのである。これは、立派な、Pで無ければ、かつPでもある、という矛盾を包含するQ集合の1つである。この様に、世の中には、矛盾を包含する要素はいくらでも転がっているから、単純にPで無いなら、Pである、また、逆に、Pであるならば、Pで無い、と一方通行的に結論するわけにはいかないのである。よって、この事により、数学的背理法はその根本から間違っているのである。

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