高田義裕の人生論

今日の格言

私は幼少の時から人間の善とは何かを考え、学び、模索し、実践してきた。この49年間の成果を今、振り返って言える事は、その努力は全く無駄だった事がはっきり分かった事だ。とことん究極にまで努力しても人間は何1つ完璧には出来ないという事を思い知らされ、悟る事が出来た。しかし、努力はしても無駄だから、努力しなくても良いという意味では無い。むしろ、とことん努力したからこそ、努力しても無駄だ、という知識を得る事が出来たのであり、もし努力しなければ、私は自分にはまだまだ能力があって、努力すれば物事を成し遂げる事が出来るのではないかと淡い期待を信じていたことであろう。であるから読者の皆さんも、自分に興味を持った分野でとことん努力する事をお勧めする。努力して初めて自分はなんて平凡で、小さな存在なんだ、という事を身をもって体験する事が出来る。すなわち、努力もしないで、自分はできる人間だ、と半ば妄想に近い悶々とした気持ちで人生を送るのと違って、とことん努力して自分の限界を思い知らされる方が、気持ちもすっきりするし、何よりも大事なのは、他の人の至らなさを素直に許せる様になる事だ。そう、自分に謙虚さが自然に湧いてきて、他の人も自分も何も違わない同じ人間であるという事が本当に理解できるのだ。そういう諦めの境地に達して初めて人間は謙虚になれるのである。すなわち、努力していない者ほど、すべてを知ったかの様にして誇り、尊大な態度をとっているのが、事の常なのである。

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