高田義裕の人生論

今日の格言

大患難

世界中で新型コロナウイルスという疫病が猛威をふるっている。もはや、世界のすべての人々が新型コロナウイルスの脅威にさらされた。しかし、将来、必ず起こる、世界レベルでの大患難はこのくらいでは済まない。そう、大患難の日には、1日のうちにありとあらゆる災難が複合的に一気に集中してやって来る。例えれば、人類が今のように疫病の災難に遭っているときに、不意に自然災害が発生し、大雨と雹が降り、人々をことごとく襲う。そして、その次に世界的な食料不足が発生し、人々は飢餓になり飢えて死んでゆく。そこにまた、突然、大地震が人類を襲う。すべての都市や町は崩壊し、津波が人々を襲い、もはや手の付けようのない惨事となる。日本も新型コロナウイルスで苦しんでいる時に、また巨大台風や大雨や南海トラフ大地震が襲う可能性がある。そう、人類の罪によって築き上げてきた驕りの富の世界は遂に報いを刈り取る時が来たのである。そう、人類の神を知らないし、知ろうともしなかった故の、日頃の罪深い行い、すなわち淫行や姦淫や貪欲な商業主義や犯罪や悪行、過度の飲酒や乱行や淫らな行い、浮かれ騒ぎや性的倒錯行為、お金に対する貪欲さやいじめや暴力や不正行為の数々を神はご覧になられたのである。このように、すべての人々に平等に大患難が訪れる時、救われるか、救われないか、は個人レベルで差が出る。すなわち、これまで行ってきた日常の生活態度の積み重ねの結果を刈り取るのである。よって、それまで災難の日のために日頃から準備し、真面目に清く正しく生活してきた者はその災厄から辛うじて生き残ることができる。しかし、いつか来る災難の日のために何の準備もせず、快楽の限りを尽くして遊びほうけてきた者はすべて息絶えるであろう。人々は人類社会で上の立場にある権威者や指導者や政治家に救いを求めるが、それは何のこうも奏さない。人の子に救いはないのである。彼らもまた、愚かであり、あらゆる不正行為にまみれており、全く無力であることを自らが悟るであろう。そう、まさに神を信じてきた者と、神を信じてこなかった者との相違を見るのである。まさにその時、その個人の行いに従って人々は勝ち組と負け組にきっぱりと別れるのである。まさに聖書にこう書かれてある。旧約聖書、マラキ書3章18節、[そしてあなた方は必ず、義なる者と邪悪な者、神に仕える者と仕えなかった者との相違を再び見るであろう。]

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