高田義裕の人生論

今日の箴言

物事すべてに対して、何かと上手く行かなかったり、悪しきものになったりしてしまうのは、用いているものの善し悪しでは決して無いこと。哲学的に言えば、およそこの世界に、何が善くて何が悪かと言う命題は存在しない。そう、この世の中、白か黒かはっきり区別出来るものなど初めから存在していないのである。ただ何かを用いる場合、それを徹底的に行っていないからのみ、弊害や害悪が生じるのである。例えば、自動車の排気ガスは、ガソリンを完全燃焼させていないから生じるものである。現代では、自動車の排気ガスは地球温暖化の原因の主要な弊害となっている。自動車という内燃機関と言う仕組みは、効率の視点から言うと、大変効率の悪いものであり、ガソリンを燃焼させて得るエネルギーのほとんどは、熱となって外側へ逃げており、100%エネルギーに変換されていない。要するに、原理的に不完全な仕組みの機械なのである。だから自動車は、寿命が遥かに短く、ずっと乗り続けても10年くらいで壊れるのである。もし、ほとんどが熱として逃げずに、100%エネルギーとして使用出来れば、車は永久に壊れないし、排気ガスも生じ無いのである。しかし、これは現代科学技術では、原理的に不可能な命題である。この様に何事もそれに100%徹し切れておらず、中途半端なレベルである為に、あらゆる人間関係の弊害や、社会的混乱や秩序の崩壊を招くのである。例えば、もし悪であっても悪に徹し切る、すなわち、悪を全く徹底して行い、その最初から最後に至るまで漏らさずに、悪を行う事を完徹し完成するなら、それはもはや悪では無く、むしろ、一つの正しさ、真理として成立し、周りに影響を及ぼすのである。しかし、現実は、悪が徹底して行われている訳では無く、あくまでも、中途半端に行われており、それを徹底的に完徹していない為、悪が悪としてあらゆる物事に作用しているというのが現状なのである。

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