高田義裕の人生論

今日の箴言

あらゆる事柄、またあらゆる難題と思われるものは、すべて(謙遜さ)によって解決出来るであろう。なぜならこの万物にあるすべてのものは、有形であり、ある形を取っている。形を取っているという事は、存在しているという事であり、存在するとは、一種の傲慢さだからである。例えば、インフルエンザウイルスにしても、そのウイルスが存在する為には、ある条件が必要不可欠であり、例えば、このウイルスに関して言えば、圧倒的に冬の時期の乾燥した条件下において発生しやすいという点である。いわゆるすべての生物には、この様に存在する為の好む状況が整えられなければ、生存しにくいからである。この様に存在する為の条件が限られられているという事は、言い換えれば、(有)という世界でしか存在出来ない種類のものでしか無いという事であり、(無)という世界ではそれは存在出来ないという事を意味する。人間で例えると、(有)とはわがままの事であり、怠惰さの事であり、浪費する事を意味する。その(有)の世界を支えているのは、(無)の世界であり、人間で例えると、(無)とは自己犠牲の精神であり、いわゆる自分を無にして、相手のどんな要求にも進んで従う利他的愛の精神だからである。すなわち、無私の愛こそが(無)の世界であり、(有)の世界とは利己的精神、すなわち傲慢さの事なのである。よってあらゆる難題とは、その解決する手段が限られてくれば限られてくるほど解決する難易度が高くなっていく事を示すが、それは逆に言えば、それだけ難易度が高くなるほど(有)の世界に依存する濃度が高い事になり、それは例えれば、それが発生する原因が非常に稀である事を意味する。いわゆる治療法の無い難病と呼ばれるものである。難病はこの様に甚だ傲慢な存在であるから、それは、なおいっそうの利他的愛を必要としている事になる。すなわち、(無)の世界への依存度が高いのであり、その存在を消去する、すなわち、その難病を治す為には、無私の愛という愛の中でも最大のものである(謙遜さ)が治療薬として良く効くという事である。この万物の世界には大きく分けて3種類の世界があり、そのレベルの低い順から、(有)の世界、すなわち我々の生きている物質世界であり、その次にすべての存在を根底から支えている(無)の世界であり、最後は利他的愛の精神の究極の存在である(謙遜さ)という神の存在する世界、すなわち、(霊)の世界なのである。よってすべての難病を治す事が出来るのは、(有)の世界にある物質的な薬剤や有形の形を取った治療法では決して無く、あくまでも、(謙遜さ)という霊が治療薬として唯一必要不可欠のものであるという事である。

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